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コロナの記録と記憶① プロローグ

2020年3月。僕は仕事を失った。正確には奪われた。COVID-19に。(以降、コロナと表記する)職は失っていない。限りなくフリーランスに近い派遣だから、解雇をされたわけではない。だが、海外添乗員という仕事は、現在まったく機能していない。

コロナが中国国外で確認されて以来、こういう状況が「いずれ来るのでは?」という危機感はあった。だが、それは想像できないスピードでやってきた。というよりも気が付いたらこうなっていた。

いろいろ報道されたり、言われたりしているけれど、中国であれだけ騒がれながらも、今のような深刻な状況になるとは思わなかった。おそらく、政府はもちろん大半の日本人、いや、世界中の人々がそのように考えていたに違いない。

油断かと言われれば、そんなこともなかったと思う。新型インフルエンザ、SARS、MERSなど様々な危機が今までもあり、多少の被害があったにしても、日本の海外旅行業界は、切り抜けてきた。当時のノウハウを元に、当初はきちんと対応していた・・・と思う。
だが、現在は恐ろしいことになっている。

中国のように大気汚染はひどくないから、日本ではあのようにはならない。
手洗い、うがいを徹底すれば大丈夫。
大半が軽症で終わる。慌てることはない。

 日本列島がコロナに襲われる前に言われていたことだ。
言葉だけ眺めてみると、どれも決して嘘ではない。だが、実際は地球全体が脅かされている。
僕が、最後に帰国したのが3月2日。それまでは、日本国内からと、海外から、2つの視点でコロナ問題を観察していた。最初は静かだった。ほんのわずかの間にざわめき立ち、その後、あっという間に拡大して、今では3月前までの日常が嘘のようになってしまった。
どのように状況が変わり、その間に日本と世界がどうなったのか、自分の心理がどのように変化していったのか、それらを備忘録として書いていきたい。自分の中で風化しないように。そして後々、今の状態を知らずに生まれてくる人たちに語れるように。

これは、2020年5月21日に書き始めた自分のブログをリメイクして、さらに今回、note用に書き換えた。3月頭まで海外と日本を頻繁に行き来していた僕は、様々なタイミングで様々な国から「コロナ」という疫病を見つめていた。そして、いつ始まるかも分からない海外旅行業の再会を待ちながら生活している。自分の立ち位置である海外旅行業界と、添乗員の立場に特化して書いていく。(既にライブドアブログでも連載しているが、多少の手直しをしながら、こちらはこちらで進めていく)

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