書評 日出山陽子『尾崎翠への旅-本と雑誌の迷路のなかで-』(小学館スクウェア)

(2009.9 「日本海新聞」所載。書評。)

 宝石のように美しい装丁が目をひく本書は、現在の尾崎翠研究隆盛の礎を築いた研究者の一人、日出山陽子氏の労作である。

 著者日出山氏は、作品や関係資料の調査に昭和五十年代から取り組まれ、稲垣眞美氏が創樹社版『尾崎翠全集』を編纂した際にも大きく貢献した研究者である。翠の親友であった松下文子氏からの直接の聞き取りなども含め、著者の存在がなければ、私たちが尾崎翠について知り得ることは、はるかに乏しいものになったはずである。

 既に伝説的な存在であった著者に、私が初めてお目にかかったのは、平成一七年七月の「尾崎翠フォーラム」でのことだった。当日のフォーラム運営に追われていた私に、参加されていた研究者の一人が「日出山陽子さんが来られていますよ!」と耳打ちしてくれた時のことを、今でも昨日のことのように思い出す。当時は、まさか直接お目にかかれる日が来ようとは夢にも思っていなかったので、驚愕したことを覚えている。

 本書によれば、著者は「この(フォーラムへの)参加を最後に(尾崎翠研究に)サヨナラしようと決意」していた。しかし、結果的には、このフォーラムでの、土井淑平代表や浜野佐知監督をはじめとする研究者との出会いが、本書につながる研究再開のきっかけになった(実際、本書には一部『尾崎翠フォーラム報告集』に掲載された論考が含まれている)という。尾崎翠に関わる者の熱意が、著者を研究の場に呼び戻したのであるとすれば、フォーラムの実行委員の一人として誇らしい。

 本書は、そうして再始動した著者の、尾崎翠研究の広がり、深化を明確に示す珠玉の論考集である。尾崎翠という作家の実像を、本書によってより鮮明に理解することができる。雑誌広告や、高橋丈雄や林芙美子、太田洋子ら他の人物の尾崎翠に関する言及、新聞記事まで、調査範囲は非常に広汎に及んでおり、しかも個々の記述を丁寧に読み解いている。私たちがぼんやりと可能性を考えていたような事柄さえも、実証的に追求されている点には、地元の研究者の一人として脱帽するほかない。

 また、これらの研究には、著者が研究を休止されていた間に、故・塚本靖代氏によって作成され、映画「第七官界彷徨」の脚本家・山崎邦紀氏によって公開されたデータベース「尾崎翠参考文献目録」の成果も参照されている。本書冒頭で著者は「尾崎翠に出会う旅の中で」「架けられなかったたくさんの橋」があり、誰かが「新たな橋をかけてくださったら」という願いを記しているが、その意味では、本書もまた「新たな橋」そのものであるといえるだろう。

 しかし、後進の研究者が、本書以上の「新たな橋」を架けることは、少なくとも、簡単なことではない。

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