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夏の暑い夜の、妙にリアルな夢。

(2012.7 定有堂書店で開催された「私立マンガ図書館」展示用テキスト。トップの画像は山口貴由『覚悟のススメ』4巻290~291頁)

 博物館学芸員経験者でありながら、僕自身はコレクター気質が皆無な人間である。新しもの好き・珍しいもの好きなので、あまり知られていない本とかモノを入手することは多いのだが、そういうモノは、だいたい手許にとどまらずに、どこかに貰われていったり買われていったりする。赤坂小町(後のプリンセス・プリンセス)のシングルレコードだとか、和製RPGの珍作『メックナイツ』のボックス版だとか、トロンOS採用のPDAだとか、ゴルフボールみたいな100面ダイスのオリジナルとか。マンガやら同人誌も例に漏れずで、今持ってたら貴重だっただろうと思うものも多いのだが、実際には(自分が直接関わったものも含めて)ほとんど残していない。そういう意味では、物持ちのいい他の方がうらやましくもある。

 しかし、形がなくなったからといって、それらのものが何も残していないというわけではない。だいたい、そういうモノほど脳細胞にはキツい焼き付きを残していて、夏の暑い夜の妙にリアルな夢になって現れてきたりするのである。

 僕にとっては、この「夏の暑い夜の妙にリアルな夢」こそが収蔵品なのだが、それは残念ながら手にとってお見せすることはできない。

 ということで、代わりに「夏の暑い夜の妙にリアルな夢」のような作品をご紹介することにしよう。

『覚悟のススメ』という不思議なマンガ。

 ジャンプ全盛期の平成6年から平成8年まで『週間少年チャンピオン』で連載されていた、山口貴由『覚悟のススメ』である(連載期間が思っていたよりずっと新しかったので若干驚いた)。この時期、僕は『叡山文庫』の目録整理とか『長浜市史』の調査アルバイトとかで糊口をしのぎつつ、大学院後期課程に在籍していた(この間、平成7年には阪神淡路大震災で実家の店舗が倒壊したりした)。京都の下宿には風呂がなかったので、銭湯で入浴し、その間付属するコインランドリーで洗濯するのが、この頃の日課だった。そのコインランドリーに置いてあった雑誌が、『週刊少年チャンピオン』だった。なぜか、『サンデー』でも『ジャンプ』でも『マガジン』でもなく、当時不人気で大学構内で読んでる友人もいなかった『チャンピオン』。そうは言っても、コインランドリーの乾燥機が回っている間、暇つぶしはしなければならない。仕方がないので手にとって読んでみると、モノの見事に当時の流行を無視した作品の連続で、閉口しつつ読んでいた。じゃあ読まなければいいようなものなのだが。

 その中で、読んでいる間は特に何も感じなかったのだが、洗濯を終えて下宿に帰ってから、妙に脳裏から離れないマンガがあった。決してウェルメイドな印象の作品ではない。士郎正宗とか大友克洋を見た後では決して達者な画とは思えなかったし、漫☆画太郎を見た後ではそれに並ぶほど個性的とも思えなかった。

 ただ、ワケの分からない熱量があって、とても息苦しかった記憶がある。

 やがて、『覚悟のススメ』は、知る人ぞ知るカルト・マンガとして、結構熱い支持を受けるようになり、ついにはビデオアニメ化までされることになったが、僕の認識はその程度だったので、当時は単行本も買わず、ビデオも見なかった。ただ、コインランドリーの『チャンピオン』が新しくなるたびに『覚悟のススメ』だけは毎回熟読してしまっていた。

 「覚悟完了」とか「零式防衛術」とか「人間の尊厳」(なんと武装になったりもする!)といった単語、「当方に迎撃の用意あり」とか「人間に流れる血液に種類などない!」とか「天国で割腹」といった独自の言語表現と相まって、なんだか洗脳されてるような気分になるマンガだった。

 そのせいか、後年出た愛蔵版を書店で見かけたとき、ふと読み返してみたくなって、珍しく全巻一気に揃えてしまった。

 あらためて読み返してみると、主人公・葉隠覚悟と宿敵でその兄・葉隠散を通じて示される、(当時極端にしか思えなかった)正義の形、その対立の形の、なんと現代風なことか。

 ありとあらゆる正義が譲ることなく衝突を繰り返す平成24年現在を知る僕たちから見れば、このマンガはまるで予言書のようにさえ思える。

 そして、一番重要なのは、これほどまでに譲れない正義と正義の衝突を、これ以上ないほどグロテスクな筆致で(しかもなんか不安定な気持ちにさせるギャグをおりまぜながら)描いているにも関わらず、『覚悟のススメ』が和解と救済の物語として幕を閉じることなのである。それまでの戦いが峻厳であればあるほど、容赦なければないほど、このエンディングは重みを増す。いろいろな許せなさ、譲れなさの根源が、「覚悟のなさ」の表徴であることを、期せずして思い知らされるのである。

「G(ジャイアント)さらば!」という一発芸で脳細胞に打ち込まれたこの作品は、作中の零式鉄球のように僕の体内に残っていた。たぶん、同じような読者はたくさんいるのではないだろうか。

(なお、山口貴由『覚悟のススメ』は、現在もチャンピオンREDコミックス全5巻が入手可能なので、是非通読をお勧めする)

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