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父の人生を変えた『一日』その66 ~出世馬~

その66 ~出世馬~
 今、水澤電機株式会社の社長室に『出世馬』が飾られている。誰からもこの馬のいわれを聞かれたことがないがライオンは毎日静かにこの出世馬を見て自分に渇を入れていた。
江間忠木材の3代目の社長は優秀な社員にこの『出世馬』を毎年贈呈していた。天竜川の工場再建を果たし取締役になった中村氏だったがライオンは社外の人で唯一この―出世馬を頂いた人であった。この出世馬の裏側には限りなく苦労と汗と涙の努力が隠されているのである。今にも飛び出しそうな『出世馬』天国まで持っていきたい勲章である。中村氏との阿吽の呼吸に乱れは無かったあの時代まさに一番働きがいがあった時代であった。大願成就を果たせ満足であった。中村氏の目には涙が溢れていた。あの時、相談にいった私の話を真剣にまじめに聞いてくれたのはライオンだけだったと言う。あの当時3社の総合商社を訪ねて頼んだが前向きに絶対にへこたれずに話を進めてくれたのは㈱トーメンのライオンさんだけだったと言う。
 商売は人間対人間がするものである。あれが中村氏だったから出来たのである。何時も頭を低く一歩引いて相手の立場になって商売を進め奢らずそして人を信用し、こうと決めたらまっしぐらだから出来たのである。まさに商売は人が作り出すものである標本みたいな商売人生えあった。
接待費も使わず天竜川で『鮎のつかみとり大会』を毎年、中村さんと企画した。前の晩に投げ縄で鮎をとって浅瀬に枠を作ってつかみ取りをさせて皆で食事したものであった。まったく中村氏は地味で実直な人柄であった。あの頃が本当に懐かしい。また、あの時代に戻りたくなった。出世馬の右足がもたげている。ライオン、人生まだまだこれからしっかりと走り抜けとライオンに檄を飛ばしている。


~倅の解釈~
 父が亡くなった後、社長室を黙々と整理した。自分自身と向き合うためにも。急に社長になった不安と親父を亡くした悲しみと格闘していた。その時、私を励ましてくれたのは親父が残してくれた品々である。
 厳密には、親父から継承したわけではないが、社長室に親父が生前誇らしげに掲げた品々が私に語り掛けてくれていた。
『おい、しっかりしろ。お前は俺の倅だ。ライオンの倅だ』と。葬儀が終わって社長室を整理した10日間ぐらいの時間は私にとって非常に大事な時間であった。まだ、この社長室には親父の魂が間違いなく宿っている。特にこの『出世馬』を見るたびに老後、親父が夢描いたことが出来なかった事に悔しさで泣けてくる。親父は『教育』にこだわった老後を計画していた。人財育成である。このエピソードの中村氏との思い出にも書かれているように、人間対人間で商売は成り立つ。その『人間』、『人』としての魅力をいかに磨くか、輝かせるか、ここをやりたかったに違いない。
 今、この社長室は会議室兼応接室兼、親父の思い出、情熱の展示室になっている。私が社長室を設けるのはまだまだ先のことである。自分で納得いくまで作るつもりはない。この『出世馬』を預かるにふさわしい社長に人間になるべく日々勉強、日々鍛錬である。

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