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父の人生を変えた『一日』その86 ~業界団体~

その86 ~業界団体~
 電気業界は設備組合・電業協会を経て最終的に社団法人電設業協会に統合統一された。県の窓口が設備組合・国・道路公団の窓口が電業協会となっていたが一本化されて新潟県Aランクの会社の会社で構成されるようになった。専門分野ごとに委員会が設けられていた。そして委員会毎にアクションプログラムが組まれていった。そして会員を賛助する賛助会員電材商社・盤メーカー・電気メーカーなどが賛助会員になっていただいた。ライオンは少し考えていた。
年会費だけで援助願っていてはおかしいのではと思っていた。そこで賛助会員と協会幹部との懇談会を提唱した。総会のある同日時間を見て懇談会を提案しそれが行われた。それ以降毎年行われ続けている。メーカーさん、盤屋さん、そして材料を納める電材屋さん固有の問題を電気工事会社と胸襟を開いて意見交換する進歩的建設的な会となった。良い事である。
 某リース会社との特別契約も実施した。会員のメンバーが一台リースする毎に協会にリベートバックする方法であり今でも継続されており協会の貴重な収入源となっている。色々と考え抜いた。この協会の年会費もランク毎に年会費設定した。近隣県の年会構成なども勉強した上での新潟県独自の年会費構成であった。
また一般会員との意見交換の機会を多くするために地区毎のブロック会議の開催の頻度も増やした。やること変えること改めることはごまんとあった。ライオンも電気屋になっていったのである。


~倅の解釈~
 親父の電機業界での力の発揮はこの電設業協会での動きが初めであったかと認識している。副会長までつとめたが、発足当時から組織の在り方などを中心に様々な意見をしていた。約20年前では業界として掲げる課題も多数あったため、情報収集、技術力の向上とテーマごとに加盟企業に情報発信をしていた。さらにはIT化が進むにつれて、この時代に電子入札や電子納品、建設CALS/ECなどが検討されて実施が始まった時代でもあった。
 今は時代も変わり、更なる技術力の向上のために業界団体として頑張っているかと思うが、時代の流れと共に、存続意義も問われる時代に突入しているのも事実である。
 同業種交流から生まれるのは何か。異業種交流を通じた商権拡大の方が重要ではないか。企業経営者とはどのように業界での動きをすればいいか。私自身も自問自答の日々である。

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