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父の人生を変えた『一日』その82 ~電機業界の時流~

その82 ~電機業界の時流~
 電気業界の営業などはたいしたことないと常々思っていた。㈱トーメンで、もまれた営業に比べれば『問題外』と言われる位たいしたことがないと思っていた。電気業界の営業は商売の基本からなってないような気がした。親父たちの時代は、国のインフラ整備が年々でてきて待っていれば商売がよってくる時代だったのである。団魂の世代のつまり21年~26年生まれの2代目は商売が変化していることが分からなった。つまり親父たちも息子に『商売のなんたるか』を教育しなったのである。だから『昼はゴルフ、夜は殿町に飲みに行く』という全くでたらめな人生をさせていたのである。そして商売も『待ちの営業』になっていった。
 電気業界は、これから『経営と技術に優れた会社づくり』を標榜するようになった。電気業界の色々な問題、技術者養成・後継者育成・電材商社とのつきあい・盤メーカーとの対話・電材メーカーとの付き合い等色々と業界を詮索いてみた。実感として『まだまだ努力がたらない』と言う感想をもった。その中で新潟県の電気業界の位置づけも検証してみた。全く労務単価といい技術者の数といい全国ベースでは下位の位置づけであった。これは業界に『革命』が必要だと実感しライオンは動き始めた。そして地方の中小企業の電気工事会社がやれることを模索し始めた。


~倅の解釈~
 親父がこれを書いていたのは約15年~20年前。2000年~2005年の事になる。業界的に振り返ると官公庁工事が激減しはじめ、一世を風靡した「建設業界」がガタガタし始めた時期である。国家のインフラ整備はどこかでペースダウンするのは、だれもが分かること。戦後の復興期、その後の高度成長期、バブル時代、バブルの崩壊と時流に伴い、国内の各経済マーケットは劇的に変動してきた。建設業界も同じである。ただ、どうしても時代の変化に気づくのが遅い印象を建設業界には持つ。親父の絶世きは受注官民比率の変革であった。徹底した民間営業の強化。事実、現在の弊社は当時に比較すると比率は逆転している。
 親父は「営業」ということに物凄くこだわりを持っていた。本人が技術者として生きてこなかったからという理由もあるが、「営業」=「人と人の付き合い」と、どちらかと言うと経営的なエッセンスを重視して考えていたのではないかと思う。企業がすべて人によって左右される時代。スタッフのやる気によっていくらスーパーマン社長がいたとしても、企業の業績は変わる。かわってしまう。現代はスタッフをいかに大事にして、本当のコミュニケーションをとれるかが勝負の時代に突入している。
 私の自論としては、実力主義の欧米的な考えでスタッフの終身雇用的な考えは希薄化している時代だからこそ、「当社に骨を埋めるつもりで共に頑張ろう」的な考えが大事なのではないかと思う。勿論、欧米的なフェアーな考え方を基盤に置いて会社のビジョンなどは可視化していることを条件のもとである。いわゆる、欧米的な「実力主義」と日本古来からある「終身雇用主義」の精神がフュージョンした組織経営が今の時代に一番即していると考える。
 3年先、5年先、10年先と先のことを考えると、経営者としては「不安」しかないが、この「不安」も一つの修練。楽しみながら茨の道を突き進みたい。

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