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父の人生を変えた『一日』その14~営業マンとしてのスタート

その14 ~営業マンとしてのスタート~
 2年目で営業に廻され新天地名古屋で『日本一の営業マン』目指して行動が開始された。土曜日も休まなかった。只ひたすら夜遅くまで働き続けた。子供の顔は何時も寝顔だけ見る毎日であった。『木材の商品知識』木材の鑑定・木材の吟味の基本になる丸太の仕分けを名古屋港の海の上で何日も何日も重ねた。
 名古屋木材の杉浦常務(木材の見方では右に出る人はいないと言われた木材のプロ中のプロ)が先生であった。この毎日の木材の吟味査定がアメリカに行って花咲くとは誰も思わなかった。毎日毎日、総合商社マンでは似ても似つかない長靴はいて海の上で丸太と対峙していた。
名古屋着任時、㈱トーメンの位置付けは総合商社5位であった。何とかトップに成りたかった。並大抵ではない努力を重ね人が寝ている時には働き人が休んでいる土曜日も働き木材の専門知識を勉強し、自分に厳しく血の出るような努力を重ねた。
営業するために生まれてきた若い商社マンはどんどん成長した。まさに、水を得た魚のように商売はどんどん増えていった。上位総合商社も一目置くようになってきた。まだまだこれからが本当の商売だと自分を鼓舞し絶対に気を抜かなかった。お客様も付いてきてくれた。これぞ商売とおった。毎日が忙しい忙しいの連続だった。


~倅の解釈~
 近年、社会人になってからの数年間は転職率が多く、人生の選択に迷う若者が多い。時代もあるのかもしれないが、父が社会人としてデビューした当時、父の文面からは希望と夢にあふれた「野望」をもった魂が読み取れる。忙しい=楽しい。これが父のモットーであった。いつも口癖は決まっていた。
 『企業戦士たるものは』
 『商人道を全うせよ』
 『他人が休んでいる時、必死に仕事せよ』
 『商魂だよ。商魂』
 自身が実践して、更には成功してきたノウハウ、裏付けがあるからこそ、父はいつもこのように断言していたのである。
 私も電設資材の商社マン時代、よく父から喝を入れられた。毎晩毎晩、遅くまでサービス残業しながら切磋琢磨していると風のうわさで聞いたようで。ある日、親父から電話が来た。
「忙しいか?」
「忙しいよ」
「甘い。出来が悪い。やり方が悪い。効率を考えよ。」
「会社で電気つけているのも経費。その分稼ぐ志をもて」
正直、当時は腹立った。しかし、今となってはすべて父の言う通りであることに気づく。
 勤勉さが取り柄の日本人。仕事しすぎ。休みの取り方を知らない。などと近年はバッシングされているが、仕事を通じて人生を楽しめる民族が日本人なのではないかと私は思う。夢や野望や目標に向かってしっかりと達成する精神性はまさしく武士道の精神、日本人のアイデンティティーなのだと思う。私も営業の事しかわからないが、更なる飛躍、発展を目指して日々先鋭化に邁進する。
 下記はてんびんの詩という近江商人を題材にした映画からの抜粋。「本物」の考えは凄まじい。
仕事無くして人育たず
金残すは下
事業残すは中
人残すは上なり
されど
金無くして事業なりがたし
事業無くして人育ちがたし
すなわち
仕事無くして人育ちがたし

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