見出し画像

父の人生を変えた『一日』その89 ~親父。。。ディナーショー~

その89 ~親父。。。ディナーショー~
 素人がディナーショーをやる。前代未聞のことであった。3年半前ニューオオタニ吉崎総支配人に言った。ホテルの暇な日あるか?私がディナーショーをやりたい。全て個人の金でやりたい。約50名を呼んで『人生を語り人生を唄う』の題名でやりたい。
「えええ、本当ですか?」
「問題あるか?」
「1万円のフルコースのフランス料理をだしてもらいたい」
「そこに焼き鳥、おでんを加えて頂きたい」
「?????」
 ライオンは麻雀で勝ち続けていた。麻雀友達への一つの恩返しを考えていた。メインテーブルは麻雀で私に負けた人たちであった。負けた人々が来賓祝辞そして乾杯中締めをしていただいた。銀行の偉いさんといえどもメインテーブルではなかった。2時間半冬のオーバーコートをきたまま茨城弁で語り演歌を歌い続けた。吉崎総支配人がスポット照明を汗かきながら操作していた。江口団子の社長も応援に駆けつけてくれた。花びら茸をお土産に持って帰っていただいた。楽しいひと時であった。
翌週、八代亜紀のディナーショーがあった。花束贈呈の時に彼女に言った。
「私もディナーショーしたのです」
「いくらお金取ったの」
「自分で払いました」
八代亜紀、大きな声で笑っていた。
「面白い人が長岡にはいるのですね」とまた、笑った。
 今年のゴルフのシーズンが終わったらまたするかと考えていた。たとえば。。。
水澤茂夫「大利根月夜」
今井富雄「横浜物語」
南場陽子「名残雪」
吉原博「親父先生」
池井宗之「哀愁列車」
一人一曲で曲決めて歌う面白いディナーショーを考えてみた。トミープランニング出来るか?駄目なら上村プランニング出来るか?仕事も一生懸命、遊ぶも一生懸命でやるべきである。歌の内容にはその人の人生の喜怒哀楽が隠されている。心を唄う演歌は日本人の魂の休息所である。後に今井富雄氏は、本当にトミープランニングという会社を興しました。


~倅の解釈~
 この章だけは「解釈」を書くのに指が震える。あの時、親父がこのアイディアを役員に伝えたとき、数名は天井を見上げた。多分。。。「社長、とうとう狂った」と。
 私は会社の専務として、どんなに突拍子もないことを親父がやろうとも、プラスの方向へもっていくのが仕事で会った。参加頂いた方々への御礼と業界からのクレームを一手に受けた。役員には迷惑をかけたくなかった。遊びは会社を巻き込まずやってほしいと腹が立っていた。
 今になって振り返っても、真似をしない。したくない。ただ、ある時親父と喧嘩した時に、言い放ったことがある。
 「くだらないディナーショーに金と時間を費やす余裕はないんだよ」と。
 その時に返答に私は言い返せなかった。
 「お前な。あの時、ホテルニューオオタニは宴会が少なく困ってた。当社は株主だろ?」
 「株主として、そして親友である総支配人をサポートする意味も含まれている」
 当時は言い訳にしか聞こえなかった。
ただ、一つ言えるのは、親父は本当に素晴らしい友人の方々に恵まれていた。親父が亡くなったときに一番に駆けつけてくれたのが今井社長であり、上記に名前を記載させて頂いた経営者の皆様から本当に心温まるサポートを頂いた。皆さま、ディナーショーのゲストである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?