【雑記】カバー曲は難しい

カバー曲って難しいと思うんですよねっていうことを長年結構頻繁に考えてたのですが、軽く文章にしてみようかなと思ったので書いています。

ライブや歌うタイプの配信で歌われた本人の曲ではないカバー曲に対してただ単純に「わぁ!○○ちゃんが△△をカバーしてくれたからこの初めて聴けた!嬉しい!」くらいの感覚でいられたら多分すごく幸せだろうし、生きるのが今より楽になるんだろうな〜と思っちゃうんですけど、自分の好きな曲やとても大切な曲をあまり好きではない演者にカバーされた時や、この曲は原曲の本人以外には歌って欲しくないなっていう時はやっぱり難しい気持ちになるんですよね、オタクという不治の病。

自分は中島愛さんのファンなのでテレビアニメのマクロスFで中島さんが担当されたキャラクターのランカちゃんの代表曲である「星間飛行」やこの作品の主題歌の「ライオン」にはすごく思い入れがある大切な曲としてずっと好きで聴き続けてるんですけど、やっぱり有名な曲だけあって声優さんやアニソンアーティストさんがライブでカバーされる機会に遭遇することが多々ありまして、その度にいろいろなめんどくさいことを考えながら聴いてしまいます。
このアニメを見て声優やアニソンアーティストの道を目指した人たちが歌ってるのも何回も見たんですけど、そういう時はわりかしポジティブな気持ちで見てて、それに対して「みんなが知ってる有名な曲だからアニメ見てないけど歌いま〜す!」って感じの人に遭遇した時は「いや、お前これはアニメ本編のこうこうこうでこういう時に歌われた曲だからそんなに気持ちで歌うような曲ではないし、そこに枠使うくらいなら自分の持ち曲歌ってくれよ」ってなりがちだし、そういう場面に遭遇して露骨に嫌そうな感じにしてるのが顔に出てる時に限って一緒にライブを見に行ったお友達はゲラゲラ笑いながらこっちを見ています、あの時のお友達各位の邪悪な笑顔は一生忘れません。

でもまあいろいろ書いたところでこれは結局のところ、その時にそのカバーを歌ってるところを見てる人たちが楽しんでくれてたんならそれでいいと思うんですよねこういうのって。
良い曲でも時代が経てば経つほどどんどん忘れ去られていくし、新しい良い曲はどんどん増えていくので、自分達の世代にとってはアンセム曲やスタンダードな曲で生で飽きるほど聴いてきた曲であっても後の世代からしたら昔の曲なわけで、昔の曲を後から知って好きになった場合にオリジナル歌唱の人たちの歌っているところを後の世代が生で聴ける機会ってかなり少ないわけじゃないですか。
そういう風に考えたら誰かに覚えてもらってカバーされる曲たちは幸せなのかなとも思ってしまう自分もいます。

結局のところって便利だから使いすぎだけど、結局のところカバーする側にオリジナルに対しての愛がちゃんとあればそれで良いとも思うんですけど、カバーする側に愛があるかどうかってオリジナルを愛してきた人からしたらパフォーマンス見たらすぐにわかることだと思うんですよね、そういうのを判別できるかどうかってある意味ではオリジナル側のオタクとしての腕の見せ所だと思うし。
その人の歌が上手い下手だったり好きか嫌いかとかは置いといて、ここの部分の歌い方がああでこうだからちゃんとオリジナルを踏襲してるなって要素を感じ取れたり、振付が完璧にやれてたりするのをちゃんと感じ取れると「へ〜やるじゃん(天空何様目線)」になれちゃうしパフォーマンスしてる側への評価は上がりますよね。
逆にパフォーマンスがやれてない人に対しての評価決めをそこの部分だけでする必要もないと思うんですよね、カバーは結局のところ他の人の曲だし。
演者に対して減点方式じゃなくて加点方式にしたほうが楽だよってだけの話なんだけどねこれ。
あとオタクする上でこれは自分には合わないからスルーしよ〜の精神をちゃんと持つこととは大事だと思います。

いろいろ考えてることを書いてはみたんだけど、自分の中での考えとしては「そこに愛はあるんか!?」で終わる話でした、女将。
主観の世界の話はやっぱり難しいですね。
難しいし、めんどくさいけどこういうのを考えてしまうのがオタクなんだろうな〜って書いてて思いました。

まるっ

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