表紙

どこにでもある出会いを、どこかの君と◆本文サンプル

フィメール時空のユンレイ本サンプルです。



 行き交う人々は自分の足元など気に留めない。例えばうっかり躓きかけたときなんかに、ようやく視界が下にぶれる程度だろう。そうでなければ、自分もそのまま見逃していたはずだ。

 無邪気なエレメンタリー・スクール生の群れにぶつかられ、ユンオは足がもつれそうになったのをなんとか踏みとどまった。その勢いで頭が地面に向いたとき、ユンオの両目に、黒い小さなメモパッドが写り込んだ。

  体勢を整えたユンオはメモパッドを拾い上げ、サイバネアイを回転させて表紙を確認した。よくあるリング綴じのメモで、名前はどこにもなく、代わりに表紙には黒のペンで「暗黒ハイク案」と書かれていた。黒地に黒文字で書かれているゆえに目立たないタイトルだが、おそらく持ち主はそれを承知で書いたのだと思われた。ユンオはシアンカラーのサイバーペインティングが施された頬を掻き、唇を尖らせた。

 (見つけてしまった落とし物を放置するってのも、ちょっと気が引けるよな)

 せめて置いておくのに適当な高さの段差かベンチでもないかと見回す。観光客と地元のサラリマン、若者たちでごった返した雑踏の中、一人の少女が目についた。

 派手な格好をしていたからというわけではない。むしろ逆で、その周囲だけ一足早く夜が訪れたかのように、彼女は全身に闇を纏っていた。

 黒いパーカーにダークグレーのスカート、黒のハイソックス。傷んだように波打った黒髪が、壁を這って絡み合う蔦めいて、彼女の白い顔を半分ほど覆っている。おおよそハイスクール生の年頃だろう彼女は不安げに、あるいは神経質に見える様子で足元を見つめながら、時折視線をさ迷わせ、ゆっくりとした速度で歩いていた。足早に通りすがるサラリマンが邪魔そうに彼女を避けていった。

 メモの表紙と少女を見比べる。第一印象は、黒。ふむ、と僅かばかり思案して、ユンオは軽い足取りで少女に歩み寄った。

 二色のケーブルヘアにサイバーゴーグルを引っ掛け、腰にいくつものポーチをぶら下げた見知らぬ青年が行く手を阻んでいることに気付いた少女は、びくりと一歩後ずさった。化粧っ気のない、どころか生気もろくに感じられない青白い頬が、緊張して引きつった。少女は平坦であった。

 少女を安心させるべくユンオは微笑み、メモパッドを差し出した。 

「エート、ごめん、驚かせるつもりじゃなかったんだ。これさっき拾ったんだけど、あなたの? 何か探してるみたいだったから」

「!!」

 警戒心の強い小動物めいていた少女は、その様子から信じられないほどの俊敏な動きで、途端にメモパッドをひったくった。今度はユンオが驚く番だった。空になった手を所在なく振り、きょとんと少女を見つめる。

  少女はメモパッドに大きな損傷がないことを確認すると、ほっと息を吐いてパーカーのポケットに突っ込んだ。それからようやく、落とし物を拾ってくれた相手へのシツレイに思い当たったらしく、ぎこちなく頭を下げた。

 「あの、スミマセン。あ、ありがとうございました」

 「ああいや、見つかってよかったけど。そんなに大事なものだったら、ポケットなんかに入れない方がいいんじゃないのかな。また落とすかも」

 「……検討します」

  ぼそぼそと囁くように話す少女の目線は、けしてユンオにまっすぐとは向かない。さもありなん、彼女は見るからにスクールカースト下位層に席があるタイプだ。日陰で細々とたしなむハイク――メモの表紙曰く『暗黒ハイク』とかいうジャンルのそれ――だけが、唯一の趣味、または心の支えであるのかもしれない。ユンオはハイクに明るくないが、芸術を好む気持ちは理解できる。

  偶然落とし物を拾い、偶然出くわしただけの少女の背景へそこまで思いを馳せるなど、いささか考えすぎと言える。しかしなんとなく、ユンオは彼女を放っておけない気持ちになっていた。影のように掻き消えてしまいそうな儚げアトモスフィアが彼女にはあったが、それはどちらかと言うと危うげに近い印象だった。ユンオは己の気まぐれに従うことにした。

 「アー、ちょっと待っててもらえる?」 

 腰にいくつか吊っている小さいポーチから、なるべく汚れていないものをひとつ取り外す。ベルトループに金具を引っ掛けて使うアクセサリであり、小銭や小さな菓子、グラフィティ用のチョークなどを持ち運ぶのに便利だ。何事かと再び不安げな顔になる少女の前で、中身を適当にズボンのポケットに放り込んでから、ユンオは空になった水色のポーチを差し出した。 

「使用感あって悪いけど、スカートにも引っ掛けられると思うし、手に持つんでもいいし。多分そのままよりはいいだろうから」

  少女は瞬きをして、墨色の瞳でユンオを見た。やっと視線が合った、と笑うと、決まり悪そうに再び目をそらしてしまった。

 「悪いです、そんなの」 

「俺も大事なものってあるからさ、そういうのってやっぱり、なるべく大事にしてほしいっていうか……お節介なのは分かってるんだけど、ないよりマシだと思って、もらってくれない? 嫌ならやめるよ」 

〔後略〕

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