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凪の歌を知る者よ
「見つけた、泣き虫」
イチヨが声をかけると、バンデは涙と鼻水まみれの顔をのろのろと上げた。
村はずれの土手、いちばん夕焼けが綺麗に見えるこの場所は、バンデの定位置だ。百発百中とまではいかなくとも、十中八九くらいはここにいる。イチヨはちり紙を差し出してやりながら、バンデの隣に腰を下ろした。
「飽きもせずよくやるね」
「……イチヨが、わるく言われるのに、慣れることなんて、ない」
ちり紙で乱暴に擦るものだから、バンデの顔は空より赤い。
先生に拾われてからの半年間、ハルナギの修行をするイチヨと言ったら、まるで最初からこのために生まれてきたかのようだった。葉への跳び渡りも、水中で迎える夜明けも、イチヨは一発で成功させてきた。
バンデとて、共に修業を始めた相手が自分のはるか先を行っていることに、複雑な思いを抱いていないわけではない。それでも、彼女を責めたり貶めたりするのは違うと、それだけは確かに分かっていた。
「あいつら、イチヨを見てると、自分が恥ずかしくなるんだ。だから、イチヨのことを、大したことない奴みたいに、扱いたがる。おれは、そんなの、ゆるせない」
「だとしても、あなたが毎回その喧嘩を買って、毎回負けてくる理由にはならないよ」
「……次は、勝つ」
「そういうことではなくて」
困ったように笑うイチヨを見ていると、バンデはなんとなく気まずくなる。乾いた墨に似た髪をがさがさと掻き回し、わざとらしく立ち上がった。
「帰る」
「それがいい。米が冷めるから」
家に戻れば、きっと先生はまた酒を飲んでいて、ひらひらと手を振って二人を出迎えてくれる。バンデが食器を出し、イチヨが料理をよそって、三人で食べる。いつも通りの、はずだった。
二人を出迎えたのは、無人の部屋と、師の字で書かれた手紙。
『霊歌滝の上にて待つ』
【続く】
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