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横道清孝先生の話、面白すぎ!

○我が国の自治体は総合行政主体ということで、一般的権限、ドイツでいうと全権限性といいますが、外交(外交もきわどいのですが)とか防衛とか、ごく一部を除いて何でもできるのです。
法令で禁止されていない以上、何でもできる。
市町村もできるし、県も何でもできる。
まさに総合行政主体です。
総合行政主体でかつ条例制定権、罰則もつけられる条例制定権まで有するところの非常に強力な自治体だということです。

○首長まで選挙で選んでいるというのは、(世界的に)少ないかもしれないのです。
ヨーロッパの多くは議会が長を選んでいます。
首長の直接公選制は、戦後アメリカのGHQの非常に強い要請で一律的に導入されたものです。
当時としては、特に官選知事を直接公選にしたものですから、民主化に非常に効果はあったかもしれませんが、現在では、あまりに画一的でないか。例えば市町村などは、小さいところは住民自治の点からしても、自分達の最高機関をどうするかは自分達で少し考えて決めてもらってもいいのではないかという、こういう議論に繋がる分けです。
今のところ憲法上の制約がありますが、憲法改正の議論になったときには、ここは議論のあるところです。

○憲法第92条を読んでいただければ分かりますが、地方自治の本旨に基づいて法律で定めるとありますが、法律で定めるというのはヨーロッパ大陸型です。
日本の”法律で定める”ということは、ヨーロッパ大陸型を引き継いでいるわけです。
とはいえ、地方自治の本旨という規定を置いているのは日本だけです。
アメリカ人に地方自治の本旨と言っても分からない。
アメリカでは法律で定めるなどとは書いていません。
もともと地方自治なのに何で法律で定めなければいけないのかという発想の世界ですから。
アメリカで分からないのなら、ヨーロッパで書いてあるかというと実は一つもありません。
地方自治の本旨というのは、日本独自の原則だということです。
ヨーロッパ大陸型は、国が監督すると言うことを憲法に規定している国まであるくらいですから、国がしっかりと地方自治の枠組みを作った上で、それを監督するという。

○条例についててですが、憲法に条例というのが規定されたのは、アメリカをうまくごまかしたというところです。
アメリカ人は条例をチャーターだと思ったのです。
そのチャーターを和訳する時に条例と訳したのです。
そして、その条例と訳したのを今度英語に訳するときに、レギュレーションとしたのです。
アメリカ人はそこに気がつかなかった。
だから詐欺みたいなものですけど、日本ではアメリカ型のチャーターは認められない。
チャーターを認めるということは、”法律で定める”と相容れないのです。
法律で一律に地方自治制度を定めるという話と、勝手にいろんな自分たちのインコーポレートをして、チャーターを定められるというのは相容れないのです。
そこのチャーターを抜いて、その代わりに従来から認められていた条例を入れたということです。

○補完性の原理についても、あまり生煮えのまま取り入れるのは問題だと報告書に書きました。
その理由は、補完性の原理自体も、地方自治の本旨と同じくらい曖昧な概念で、かつ、補完性の原理がどこまで通用しているかというと、ヨーロッパ大陸です。
ヨーロッパ地方自治憲章とか世界地方自治憲章草案とかに取り入れられていますが、これは、特にヨーロッパ大陸の中央、ドイツ生まれの原理です。

○アメリカのホームルールとは、自治体が最高機関を組織する際に、自分達は議会とシティマネージャー制にするとか、自分達は議会議員とは別に市長も直接選挙にするとか、そういう自分達を代表して動く組織を自由に決定できるという自主組織決定権、これが一番大きいのです。
それ以外にどんな仕事をやるとか、そういうことも決められますが、自主組織権の無いホームルールというのは考えられないというのがアメリカ人の感覚であります。

○地方自治基本条例とかがありますが、あれは今にいたってはほぼナンセンスです。
つまり、地方自治基本条例といった場合、中身として大事なのは、どういう組織を意思決定機関として持つか、そういう政府形態を自分達は選択するのか、これが基本条例の最も中核なのです。これがチャーターなのです。しかしながら、日本では憲法、地方自治法でこの辺は相当”がちっ”と固められているわけです。
手の入れようが無いのです。
そうすると、住民参加プラスアルファのどちらかといったら端の方の住民参加のところで一生懸命になって、その理念と手続きを規定せざるをえないというのが地方自治基本条例です。

○住民自治の課題の一つは、先ず長と議会の関係、最高機関の見直しをどうするかという問題です。
長と議会との関係を考えたときに、現在は長が非常に強力な制度です。議会には自らの召集権すらありませんから。

○アングロサクソン・英国流のNPM改革、これらは首長のリーダーシップを非常に強力にしよう、そうする改革です。
しかし、首長に立派な人が来ればいいけれど、変な人がきた場合に誰が牽制するのか。議会が牽制しなければいけないとすると、そこのバランスをどうするかということが大きな問題です。そこはホームルール問題とも絡んで、憲法レベルの最高機関のあり方の問題にも繋がってくる。

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