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仮説について まとめ(ほんの一部)

仮説について まとめ(ほんの一部)

◯今日の夕刻は、フィールドイノベーション活動の施策承認会議だった。
支援課の職員が、事務改善に係る仮説の検証の結果、対応すべきとされた課題、①電話や他の職員からの相談等、仕事への割り込みが発生している、②紙ベースの手作業が多い、③間違った手続きの説明をしたことで発生する“後処理”に時間がかかる!の3ポイントについて8つの対応策を考え、それを今日発表した。
その全てが上手く課題解決の方向性に合致しており、KPIもスケジュールも具体的に設定され、気持ちが良い。
オーナーとしてしっかり施策を承認させていただいた。
支援課長は、“あ、こういうことをやればいいんだあという施策になった”と言う。
施策がまとまってみれば、派手さの無いインクリメンタルな改革だが、職員たちが忙しい中で検討して自ら施策を炙り出したものだから、自分たちも納得感と達成感を感じている。
今日までこの業務改革プロセスを経たことが、いかに彼らにとって重要な経験であったことか。そして今後も、このプロセスを経たことが彼らの自信となり、これにより彼らの中に生み出された幸福感が彼らのキャリアを支えていくだろう。
非常に忙しい区役所の事務の中で、忙しいがゆえに効率化する時間も取れず不合理な事務を悪戯に継続してきた悪循環に、なんとか楔を打ち込むことができた。
支援課の皆と富士通さんに感謝したい。
区役所のイノベーションがなされた。
支援課の職員が導いた施策が、他の課の改革のスタンダードとなり、区役所全体の効率化が推進されるのは勿論だ。
このような取組の中で、普遍的と見定めたスタンダードを横断的に適用するのが行政改革だ。

◯今日、ふと、なんだか、ちょっと思ったんだけど・・・、

自分の考えていること、思っていることをもっと疑ってかかろうと思う。

自分が自分の行動を決める根拠となる仮説を、まずは疑ってみようと思う。

所詮そんなもんは、

3流週刊誌か、
3流テレビ番組、
3流HOWTO本
さらには、もっと質が落ちるネットの情報から類推しているんだろうから。

そんな”商魂逞しいメディアたち”が賢人のごとく、自分に有益な賢いお話を語ってくれるはずもなく。

シビュラシステムにさえも届かないような屑情報ばかりだろう。

そんなもんを仮説として人生送るのは、ちょっと辛すぎだろうと思う。

そういうことだと、やっぱり、まずは自分で体験、経験を重ねて、失敗するなら失敗して、自分が自分の行動を決める根拠をしっかりと自分で納得しながら積み上げていくしかないんじゃないか。

なんでも机上で決めちゃおうとするから、たいしてエビデンスにならないようないい加減な情報を元に行動しちゃうんだ。

そして、そんな時、どうしても気になっちゃうのはマイナスの要因ばかりなんだから・・・。

とりあえずは、多少は経験と失敗を繰り返してみることだな。

そんなところから、徐々にきちんとした、自分らしい選択のスタンダードが明確になってくるだろう。

何かを始めるとき、未知の世界を経験しようとする時には、あまり想像力はたくましくしない方が良いかも。

考えるより、心配するより、まず行動!

そしてそれで失敗しても、ぜったいにクヨクヨしないで、次の行動を選択するために、その経験を生かしていく。

そういうことだよな。

自分にとって有益な真理は、自分の体験から、そして、それを踏まえて自分が納得していくところからしか、掴むことはできない。

何かを決定するときは、もっと自分の”欲”に誠実に、自分の素直な思いに誠実に・・・。

トライしよう。

そして、だからワークライフシナジーなんだ。

◯マネジメントって仮説にすぎない。そして仮説のまま終わる幻想だよね。そこだけに解決策を求めちゃ絶対いけない。

◯時代の動きが激しくて、未来がいったいどうなるかは、なかなか把握できない中でも、理想の将来像を仮説として掲げ、それに向かって日々精進を重ねる。
それが総合振興計画だが、将来像ができた後、本当にその将来像をブレイクダウンしながら日々の事業を位置づけているのか。いや、それができていない。長期的なスタンダードを差し置いて、短絡的なスタンダードによって事業が進んでいく。そんな事業の進めかたでは、中長期の計画を作る意義は全く無くなってしまう。

◯ファッションっていうのは、時代の移り変わりにおいて、そのフェイズフェイズで、どのような装いや生き様が人の心をとらえるのかということを描き出す"仮説の設定"に他ならない。
その仮説が上手く人の心をとらえるならば、その仮説は時代を作り、社会や歴史を変えることができる。
そもそも装いは人に密着した文化であり、人を個々に魅了することができることから、ファッションは、その仮説を平和のうちに実現せんとする声を高めることができるものである。

◯以前、総合振興計画の策定を担当していたとき、指標を掲げるが、その先も指標については継続的に検討するよう。また、事業自体も含めて、毎年の振り返りにより、事業の手法も指標もどんどん変わっていくものであることを記載しました。
そして、活動指標の効果を見極めながらも、目指すところを決めたら、まずはそのプロセスをしっかりと進めることが大事ですよね。
その方向性が成果指標に近づくという仮説に沿って前に進むんです。
総合振興計画は議決され、議会と行政が指標を含めて合意したものですから、議会が行政の責任を問うなら、活動指標を追うプロセスが適切に行われているかを問うことになるはずですねえ。
指標と手法の是非については、ギリギリと問うことはどうなんだろうって思いますね。

◯昔は“マイニング”と言って、その利益が語られていたと思うんだけど、ここにきて、それが、そのマイニングをする対象である“ビッグデータ”と形を変えて我々に訴及してきた。

「ビッグデータの世界では、有効な仮説が無くても良い。(仮説・・・つまり評価指標だよね。)世の中の仕組み、個人の行動、消費者の購入内容、部品の故障時期などが、ビッグデータの相関関係を基にした予測により明らかになる事例が次々と紹介されている。」(日経)

「実際の分析において、一見関係無さそうに見える要素の間でも、時間軸や原因・結果の関係を整理していくと、1つひとつの要素がつながり、大きな流れが見えてくることがある。すると、これまで見えていた個々の要素から導いた結論が、決して本当の答えではないことに気付くことになる。」(Think NO46)

まさにそういうこと。
それがわくわく感に繋がっていくわけで。

データマイニングの凄さを認識したのは、東大工学部の数理言語情報学研究室においてテキストマイニングの実演を見たときだ。

モニターの中で、前もって意図しなかった関係性が次から次へと導きだされていく。

大きなデータを分析することがどんどん容易になれば、あらかじめ限定的な利用しか想定できない”仮説(及び評価指標)“を前もって設定して、その指標における分析・検証を行う“ということではなく、仮説を設定せずに、世の中の動きや個人の思いなど、ビッグデータの解析自体に、それらデータ間の相関関係等を見出して、その”気づき”をもって新しい価値や事業を生み出していくことができるだろう。

いわゆる政策指標なり施策指標、つまり個別事業ではなく、大きな枠で広く事業の過不足や事業間の関係性を含めて評価をしていかなければいけない上位の評価においては、このビッグデータの解析が活躍しそうだなあって思う。

この辺を、何とか、このビッグデータという言葉が流行っている時期に検討し、モノにしていきたい。

やりたいなあ、ビッグデータの解析!
それは数値の解析だけじゃなくて、テキストの解析をしっかりと含めて・・・。

これが“ブレイクスルー”を産むんだと思うなあ。

◯富士通さんにコラボいただいているフィールドイノベーションの取組が、大分先が明るく見えてきた。
わくわくする。😀
南区が、転出入が多く子育て世代も多いことから、児童福祉分野で手続きをする件数が極端に多く、その対応にかかる時間が残業を生み出しているとの分析から、窓口を起点とした事務の効率化をテーマに置いた。
次は、何が効率的な業務を阻んでいるのか、仮説をたてて検証に入る。
だいぶ細かな仮説を検証してもらえるようなので、今後おそらくは良く顕在化された具体的な課題を叩き潰すことができるだろう。
このフィールドイノベーション、職員のイノベーションへの意欲も引き出している。
職員は忙しい中でも、真摯に取り組んでいる。
それ自体とても嬉しいことなのだが、そこでは改善への意欲が芽生えるとともに、彼らはイノベーションの手法も身につけることができるだろう。
人材育成ツールとしてもその期待は大きい。
できるなら来年、他部署でも取り組みたい。

◯たぶん埼玉生まれ埼玉育ちの人でさえ、地元に満足できていない部分が多くて、思わず埼玉の魅力って何ですかと自問してしまうんですよね。
物理的(地理的)な部分では、自然災害が無いとか交通の利便性が高いとか、皆さん魅力を感じるから住んでいるんでしょうけど、やっぱり金額的に都内には住めなかったという負い目や、子育て世代が多く治安が良いことの裏腹で、情緒的な艶のある魅力が少ないことがそのような自問を産んでしまうんでしょうねえ。
そういった自問を繰り返してしまうこと自体がとても不幸なことだと思います。
単に住むだけの場所という性格を、街づくりで覆さない限り、この不幸な自問が続くんだろうなあ。
ただ、東京、川崎を含めた武蔵の国や、東京圏としてみればその中でいろいろ魅力のバランスが取れているので、わざわざ埼玉だけを取り出して魅力のある無いを揶揄しなくてもいいような気もします。
そもそも思考の枠組とか仮説の設定の在り方が違うよねということです。
埼玉っていうのは自治体域に過ぎないし、我々が何も思考をそれに拘束される必要は無いので。
歴史を振り返れば豊島区や新宿区でさえ浦和県であったこともあるので。
首長も自治体域が選挙区だから都道府県ごとの魅力を語りたがるけど、特に東京圏の住民にとってそれはあまり気にすることではないように思う。

◯ビッグデータの活用が必要な理由・・・

事業を企画・改善する際の裏を取ること。

まさにマーケティングは当り前の”エビデンスの活用による効果・効率的な事業の推進”。

真実の見える化。

新たな仮説の顕在化。

これは実はずっと昔から企画・計画担当が思い描いてきたこと。

やりたくてやりたくてしかたがなかったこと。

まさに恣意を排した合理的(科学的)な行政の推進!

◯前に進む方法は2つ

未来に向かって事業をどう評価しながら前に進もうかと考える時、大雑把に言うと二つの進み方があって、まず一つは、大向こうに掲げた将来像と現在の姿の差がどの程度埋まったのかを評価していくもの。将来像という目標の完成に向けてどれだけ(何割とか何%とか)近づいたのか、成果指標によってぎしぎし毎年評価しようとする方法。
あともう一つの進み方は、まず将来像の実現に必要な活動指標を計画の当初に仮説として掲げて、その活動指標を実現する事業を将来像の元に落とし込んじゃう(設定しちゃう)もの。これだと事業を担う者は単年度の活動指標を目指していつも“現在”の作業に集中できると思う。その単年度の活動指標の成果を積み重ねると、計画最終年度には将来像の成果指標が達成できるだろうという仮説を最初に位置づけちゃうということ。
この二つの内、どちらが良いかと言えば、事業の担当者にとっては、毎年設定した活動指標を目指してじっくり落ち着いて仕事に取り組めるから後者の方だと思う。活動指標の見込みは確実に事業を行いながら常に目に進捗状況が見えるからね。
これがいわゆるプロセス評価。これがアジア型の進捗管理らしいんだ。
まあ、この場合、成果指標を出すことは、担当者よりもっと高みにいる者の責任なのかもしれない。
前者のように成果指標が毎年出たか否かをぎしぎし担当者に問う手法は、高みにいる者の責任逃れだと思うし、担当者の負担感が半端ない。
計画を策定する時は、将来像を実現する仮説を掲げるその最初が肝心なんだな。
最初にどれだけ将来像を実現する蓋然性が高い事業を仮説として設定できるのか。
それを設定できるのがプロでしょ。
そこをしっかりと固めて、毎年事業を落ち着いて確実にこなしていきたいな。

◯今思い出せば、さいたま市が政令市になって間もなくの頃、私は庁内のワークライフバランス推進委員会の座長だった。
次世代育成支援対策行動計画の担当ということで、子育て企画課長が座長ということになっていたわけだ。
それ以来、残業削減について、ワークライフバランスとかワークライフシナジーとか、いろいろ模索しつつ今日まで来たけれども、仕事と私事のバランスと言いつつも、実際は今よりも私事にバランス軸を移せというワークライフバランスの考え方は、上手く仕事の本質を説明できるものではなかったように思う。
仕事に対する価値観、私事に対する価値観は100人いれば100通りある。一定の仕事と私事のバランスを皆のスタンダードとして例示できるものでもない。
また仕事量がほどほどの部署なら、つまり職員が私事重視にシフトしても仕事がさほどたまるようなことがない部署ならそれでも良いのだけれど、とにかく仕事量が馬鹿みたいに多く、年々それが増大しているような部署では、職員の意識が私事にシフトして帰りたいと思ったところで仕事量がそれを許さず、実際は帰れるものでもない。
管理職からやみくもに早く帰れと言われても部下はカチンとくるだけだ。
どうやら、さいたま市のように人口が増加を続け、街が発展するにつけて仕事がとても増えているような自治体(組織)に於いては、ワークライフバランスの考え方は、あまり残業削減に役立たないようだ。
このような本当に忙しい組織において残業を減らそうとするならば、皆で仕事の効率化を進めていこうという考え方が残業削減のベクトルにマッチする。
アウトプット、いやアウトカムかな、仕事の成果はそのままに、もちろん過剰品質の是正は考慮しつつも、実際のインプット、つまり仕事量を減らしていく(効率化)。さらには、仕事の効率、スピードを上げるために個々人の知識や能力を上げていく。
それらにより仕事量や、仕事に要する時間(インプット)が削減され、その分、ある人は私事に時間を割くことができるようになるだろうし、市民に向かって、じっくり個々の相談に対応することもできるようになるだろう。そして、事務上のミスも減るだろう。また、仕事が減った余裕から、または仕事を減らすことができた自信から、職員の改善意識が向上して、さらに効果・効率的な仕事を生み出すことができるようになるだろう。
このような取組の一つの良い例が、今、富士通さんに協力いただきながら南区で実施しているフィールドイノベーションの取組なのである。
おかげさまで、仮説の設定から、仕事の可視化による仮説の検証を経て、おぼろげながら解決すべき課題の洗い出しと、その改善方策の検討へと駒が進みつつある。今はもう少しこの検証結果を深掘りしたいという衝動に駆られているところだ。
この、仮説設定からその検証を経た対策の検討へ。この一連の流れを職員に体験させることも非常に大事だ。これこそ普遍的で、様々な仕事(ニーズを踏まえた適切な事業の実施や改善)に応用が効く基本的で汎用性のある企画の手法であるからだ。

◯おおよそ全ての計画は、その施策や事業が体系立てて構成されている。
当たり前のようなんだけど、この体系とは、つまりあらかじめ仮説を設定しているということだ。
これらの事業たちはある目標を実現すべくひとかたまりになっているんだよということ。
目標と、そこにぶら下がっている事業等の関係性が整理されているのが、いわゆる高校野球のトーナメント表のような”体系”だ。
この体系の中に具体的な事業を位置付ける時、困ってしまうのが、一つの事業が複数の目標に位置づくと思われる時。
こういった時は、”再掲”ということで同じ事業を異なる目標に各々位置付けたりする。
場合によると、計画書には再掲だらけというものもある。
そして、再掲がされた事業は、事業としては一つなのだろうが、掲げる目標が異なるのだから、各々の目標を見定めた別々の評価(その目標達成に向けた効果・効率性の測定)をしていかなければいけない。
これは面倒だ。
だから、そんなに厳密には、どの計画も評価をやっていないと思う。
この際、体系立てて事業を並べるのはやめてしまおうかとも思う。
体系とは一つの仮説なんだから、各々の事業に係るデータの量と質を確保しておけば、体系が無くても、その時々で必要な仮説を検索のキーとして大量のデータを随時分析すればいいじゃないかと思ったりする。
データ活用の大きな利点は枚挙を良しとすること。
日頃の仕事における枚挙は愚の骨頂だが、大量のデータの活用においては枚挙はクレバーの証だったりする。
この・・・、体系に分けるとか・・・、ファイリングもそうだけど、分類は、どうしても分類できない谷間みたいなものもあるし、どうしても複数の分類項目に入れてしまいたいものがでてくる。
やっぱり検索、枚挙の時代なんだよなあ。
知のマイニングが適切にできる時代・・・。
ちょっと嬉しい・・・。

◯自治体の事業は、その事業が始まる前に設定すべき“仮説”、それは活動指標だったり、まあ、いわゆる目標かな。
しっかり把握したニーズに基づいたその目標の設定が無ければ、後々その事業の評価ができない。
事業が始まる前に、現況値(初期値)を取って目標を掲げ、その後は事業が実施され、事業が推進される各段階でその時点の状況と目標との乖離がどれだけ無くなったのかを示すのが評価だろう。
その乖離がなかなか無くならないなら、その目標自体や事業の手法等が適切かどうか考え直す必要も出てくる。
評価の手法としては、市民のアンケートを実施して定性的な評価を与えることもあるが、想定されるアンケート結果は、当然ながらその結果に基づいてどう事業を変えればよいかが導かれないなら意味はない。
体系が計画等によって示される場合は、事業の一塊での評価、いわゆる施策レベルで、一つ一つの事業に関する指標ではなく、一塊の事業に関する成果指標が目標として示されることになるだろう。
各事業が始まる前に施策レベルでの成果指標として初期値を取ったら、最初に施策にぶら下げる事業の過不足も検討すべき課題となるはずだ。

◯大都市(政令市)企画主管者会議では、京都産業大学の藤野敦子先生の講演がありました。

「人口減少社会における政策課題ー欧州との比較及び人口学の見地からー」

広島市や堺市の担当者から両市の合計特殊出生率が大幅に上昇したが、その要因は明確ではないといった報告もありましたが・・・、

藤野先生からはP、マクドナルドのU字型カーブ仮説について説明がありました。

現状としては女性の男性役割化が進む中で、男性がかつての女性的役割を担うことができていないため合計特殊出生率が伸びてこないということ。

今後は男性の女性役割化が進み、男女の親密性が高まれば、結婚・出産行動へ向かっていくとのこと。

性の平等化、ジェンダーギャップの解消こそ少子化対策ということでしょう。

でも、そもそも女性の存在意義、男性の存在意義って何だったんだろうか。

事実としての性差をどう捕らえればよいのだろうか。

女性が男性に求める魅力とか、男性が女性に求める魅力って何だったんだろうか。

パパスクールとかって、性の平等化まで求めていく取り組みなんだろうか。

いろいろ考えてしまう・・・・。

でも、P、マクドナルドのU字型カーブ・・・。仮説としては十分理解できます。

◯知のマイニングが適切にできる時代・・・。

おおよそ全ての計画は、その施策や事業が体系立てて構成されている。

当たり前のようなんだけど、この体系とは、つまりあらかじめ仮説を設定しているということだ。

これらの事業たちはある目標を実現すべくひとかたまりになっているんだよということ。

目標と、そこにぶら下がっている事業等の関係性が整理されているのが、いわゆる高校野球のトーナメント表のような”体系”だ。

この体系の中に具体的な事業を位置付ける時、困ってしまうのが、一つの事業が複数の目標に位置づくと思われる時。

こういった時は、”再掲”ということで同じ事業を異なる目標に位置付けたりする。

場合によると、計画書には再掲だらけというものもある。

そして、再掲がされた事業は、事業としては一つなのだろうが、掲げる目標が異なるのだから、各々の目標を見定めた別々の評価(その目標達成に向けた効果・効率性の測定)をしていかなければいけない。

これは面倒だ。

だから、そんなに厳密には、どの計画も評価をやっていないと思う。

この際、体系立てて事業を並べるのはやめてしまおうかとも思う。

体系とは一つの仮説なんだから、各々の事業に係るデータの量と質を確保しておけば、体系が無くても、その時々で必要な仮説を検索のキーとして大量のデータを随時分析すればいいじゃないかと思ったりする。

データ活用の大きな利点は枚挙を良しとすること。

日頃の仕事における枚挙は愚の骨頂だが、大量のデータの活用においては枚挙はクレバーの証だったりする。

この・・・、体系に分けるとか・・・、ファイリングもそうだけど、分類は、どうしても分類できない谷間みたいなものもあるし、どうしても複数の分類項目に入れてしまいたいものがでてくる。

やっぱり検索、枚挙の時代なんだよなあ。
知のマイニングが適切にできる時代・・・。
ちょっと嬉しい・・・。

◯リモートで仕事をする。
それを簡単に言ってしまえば、ネット上でグループウェアを活用して距離的にも時間的にも離れた人たちが一緒に取組に参画(つまり働く、もしくは相談や申請・受理等の相互のやりとりを含めて)することができるということだ。
多数の人が同じテキストや図、絵、写真、映像、音を駆使した資料にアクセスできる時、時間や移動の無駄が無くなる。それがデジタルの活用だ。
ただ、これは一定の囲われた組織内で実施する分には容易いが、自治体について言えば、そのステークホルダーや、共に物事に取り組む参画者が多様で、その事業体としての規模が大きすぎる。
ステークホルダーや参画者は年齢層もそれぞれが持つ価値観もたいへん広い。
自治会の役員や民生委員、教育委員会等の行政委員会の委員、社会福祉審議会等附属機関の委員、仕事を委託されている事業者、議会議員、さらには要援護者を含めて個々の住民一人ひとりを慮らなければならない。
自治体が事業を進めるにあたっての大きな仮説、条件は、ユニバーサルでバリアフリーで、なおかつ人権の尊重、公平性の確保である。
自治体は彼らの全てが活動するネット環境をどうやって確保し、どうやってその参画を得ようとするのか。
そのためにはフットイコールじゃ当然すまなくて、個々のエンパワーメントを含めて、どうこれから対応していくのか。
これが自治体DXの最大の課題なのに、そこをきちんと検討しながらDXのあるべき姿を描こうとしている自治体はあるだろうか。
ここをきちんと検討しないなら、また今度もその取り組みは頓挫することになるんだろう。

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