"人は、いつかはかならず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない、とソフィは考えた。そして、生の素晴らしさを知らなければ、死ななければならないということをじっくり考えることもできない。"
(「ソフィの世界」哲学ガイド/須田 朗)
介護保険制度や医療制度は、寿命の延伸を至上命題とする共通認識の元で運営されているように思う。
それなので高齢者もなかなか自分の死というものを実感できないのではないか。
自分の生きる意思がどうであれ、周りの人たちは自動的に高齢者の寿命の延伸に向けて動きだす。
高齢者は、まるで自分が生と死を容易に司ることができるように錯覚してしまうのではないか。
その死の瞬間に、高齢者は死というものを認識し、理解し、それに納得できているのだろうか。
そして自分の生の素晴らしさを感じ取ることができているのだろうか。
"今"にずっと生きたくて、死をただ忌み嫌ってイラついていた父の死が、それでも安らかだったことを祈る。
死を前にした心配事が、自分の葬儀や墓のことだったり、叙勲や叙位や自分が建てた家や門のことだったりするのは、やはり"今"を生きることしか考えていないということなので、残念ながら愚かなのではなかったか。
そこに父の自尊心を感じることはできない。
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