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ある雑誌で石津祥介が語っていた。
VANの本社があった青山は、大人のおしゃれなまちである。
それは一言で言うと「ええかっこしい」の街なのだと。
そして「ええかっこしい」は、見栄っ張りとも言えると言う。
わかりやすい例で言えば、同じキュウリを買って帰るのでも、
紀伊國屋の紙袋に入れて歩くのと、スーパーのキュウリとでは
本人の意識としては大分違う。
また、これは動物の本能にも通じ、群れを支配する上で、
自分がよく思われたい、認められたいということがあり、それは人間の世界でも同様であると言う。
そして、その「ええかっこしい」が時代の文化を支えていると言う。
でも、私はそうは全く思えない。
私はこの「ええかっこしい」がおしゃれとは全く思わないし、青山をそういう街であるとも感じない。
見栄っ張りという信条においては、おしゃれという“品性”は育たないと思う。
おしゃれは“そのままの自分の品性”在りきだと思う。
見栄をはらずとも、おしゃれをさらりと身に纏う品性。
それが素敵なのであって、それは所得の高低や消費の大小にも捕らわれるものではないことを、そろそろ我々は実感しつつある。
そういう時代へと進展しているのだから、やっぱり日本や海外も含めて今まで君臨してきた、いわゆる典型的なファッションブランド産業は衰退していくのだろう。
一言で言えば、ファッションブランドで着飾るのはおしゃれじゃない。
格好悪い時代になったということだと思う。
森英恵先生の言葉を思い出す。
森先生はこう言う。「見るものよりも、中に人間が入って動くことによって違う輝きが出ると思います。着る人によっても表情が異なる。」
森先生は「ええかっこしい」ではなかったように思う。
一人ひとりの人間が主役であり、そのままの個々が大切であると仰っていた。
森先生は、常に欧州と当時の日本を対比しながら、謙虚な姿勢で謙虚な服作りを進めていらしたと思う。

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