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埼玉高速鉄道。
その開通は2001年3月。
もう20年以上前だ。
その総務部総務課にいた松井は開業までの2年間、株主総会や役員会の運営や福利厚生事業の推進等の業務と併せて、本社オフィスと運輸所オフィスの構築も担当した。
既にPCは一人一台導入されてLANで結ばれていたので、グループウエアやワード、エクセルはASP、今で言うクラウドで繋げた。
サンマイクロシステムズ(現オラクル)がクラウドで使うワープロや表計算ソフトを開発中ということで、その完成を待っていたが、サンマイクロシステムズと調整したところ、どうやら開業までに導入が間に合いそうもないということが判明して困ってしまった。
一人一台のPC、そしてそこに載った一つ一つのソフトウエアの維持管理の大変さには辟易していたからだ。
様々なIT企業に状況を説明して導入の可能性を探ると、NTTコムウエアという会社が対応してくれた。これによりPC本体の維持管理は仕方がないが、ソフトウエアの維持管理からは解放された。
NTTコムウエアが安心な良い回線も用意してくれた。
おそらくはたいへん先進的な取組であったと思う。
せっかく各々のPCがネットに繋がっていたので、弁当のオーダーを社員が取りまとめて電話で発注することもやめた。弁当屋とかけあって、PC上でオーダーできるようにして、弁当代も月極めで支払うように整えた。
また、福利厚生事業でも、直営で福利厚生プログラムを作ってそのサービス利用券などを随時配布するのにも辟易していたため、ベネフィットワンのような福利厚生サービスに一本化した。
ただ、埼玉スタジアムのレッズ戦のチケットの配布は残ったが、大幅に福利厚生に関する社員対応件数が減った。
会社が立ち上がって開通までの事務書類も膨大な量になったため、新社屋の最上階を文書庫としてコクヨ式のファイリングシステムを導入することとし、社内研修を実施した。
オフィスにもいろいろと先進的な什器などを取り入れた。
会社の総合受付は無人として、そこに置かれた電話から各社員が持つPHSに電話を入れてもらうようにした。
さらにはデザインに優れた欧米式の個別机を導入し、島形の配置を取りやめた。窓際には集中ワーキングと接待に使えるテーブルと椅子を置き、休憩のための大きなバーテーブルとパンや飲み物の自販機を置いた。
会議室は大きな会議室を一つ設置して、それを状況に応じて小さな打ち合わせから式典まで多目的に活用することとした。
会議室のホワイトボードはプロジェクター映像の映りの良いガラス製とした。
電車の運転手さんが集う運輸所は、常に全ての社員が滞在するわけではないので、フリーアドレス方式を取り入れた。
フリーアドレスとなったので、PCは仕事が終わった後はロッカーにしまい込むようにしてオフィス環境の維持を図った。
また、仕事環境の秩序を継続的に保つために、ファシリティマネジメントも導入した。
もう20年も前なので、今どのようにオフィスをマネジメントしているかは分からないが、様々な組織から入れ替わり立ち代わり社員が派遣されてくる第三セクターとしては、開通時点では安心した会社運営ができる環境を整えることができたのではないかと思う。

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