いわゆるねじれ解消の必要性とか、国においては二院制の不必要性とか・・思いを巡らす今日。

二つの勢力がけん制しあい、お互いがある程度成果をあげたような落としどころを探りあう・・・。
それがパワーポリティクスクなのか?
その結果、その成果が、なんだか本来の課題を解決するのに必要な成果となったのかどうか良くわからなくなったり、良く言えば最大公約数だけど・・・、誰も(政治家も国民の個々も)が不満足を抱えるような結果になったりして・・・。
また、成果を出すまでの、そのような調整に要する時間と手間がたいへんなもので、現代の時代の流れ、そのスピード感に、解決策の導きが追いつくことも、とても難しい状況なんだと思う。
それに、もっと効率性も、システムやプロセスには求められていいんじゃないかとも思う。
行財政改革がこんなに求められている中で・・・。
担当する人間が疲弊してしまわないように。
でも、権力を集中したら、勝手な、国民が望みもしないことが起きてしまうという危惧が言われる。
それをなんとかしようとするのが、一定期間毎に行われる選挙制度、そして憲法の存在と司法の違憲立法審査権なんだと思う。
政治(議会)の中だけで”最適”を考えずに、3権全てを見渡しながら民主制度の全体最適を探っていくのが良いと思うな。

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