政策研究大学院大学の横道清孝先生から面白い話を伺いました。
先生は、行政に民間の手法を取り入れようとするNPM(ニュー・パブリック・マネジメント)はアングロサクソンの手法であり、アジアにはアジアの手法が別にあるのではないかと話されていました。
すごく興味深い話です。
NPMは、最近少し扱いが落ち着いたかもしれませんが、今まで、PPPにしろ、マーケティングや、”KAIZEN”にせよ、民間人を役所に採用するなどして、その例に見ならおうとしてきたような気がします。ただ、そんな民間の手法の全てがそのまま行政に適応するかと言えば、そうでないことは皆薄々感ずいているところで・・・。
PPP(PFI)はほとんど対応例は全国でも数えるほどだし、マーケティングにしても、ニーズのあるところだけにただ手当てをしていけば済むということでも無し。ターゲットを絞り込むってのも難しかったりで・・。
まさか、ニーズをこちらから掘り起こすわけにもいかず。
そもそも行政サービスの在り方と利益を追求しようとする民間サービスの展開は実は性格が全く違うし、そんな民間事業者だって毎年相当数が破綻、倒産していくわけで・・・。
それに、チョムスキーなんかも、”民間システムというのは非常に非効率だ”と言っているくらいですし。
行政評価(事務事業評価)にせよ、NPMにせよ、行政サービスの本来の意義とか特性には触れないままに、その”効果・効率的な手法”の実現のみが暫くの間、語られてきたような気がしています。
実は、行政評価もNPMも、まさにアングロアメリカン(イギリス)において生まれた分けですが・・。
イギリスでは、マニフェストが一大旋風を起こして、そもそもマニフェストが選挙で承認を得れば、そのマニフェスト事業をただやっていれば良いって分けで、どんな事業が新たに必要か(位置付け)とか事業の継続的な改善について行政が考えることなく、マニフェストに記載された事業について、その手法をどうしようかということのみに目がいっていたということらしいんです。それも困ったなというか・・・。
行政の事業は社会の急激な変化に伴い、柔軟に対応し、自ら変化をしていかなければならない生き物ですからねえ。常に各々の事業の意義については繰り返し繰り返し確認をしていく必要がありますよね。
日本でもマニフェストが大分その名を轟かせていますが、手法だけに目をやるのではなく、行政の企画力というか、今何が必要とされていて、今後どんな工夫が必要なのか、そういった確認を繰り返す行政の継続的な取り組み(企画作業)については、手放してはいけないと思います。
そんな視点からも、横道清孝先生のおっしゃる”アジアにはアジアの手法がある”という言葉は、期待大です。

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