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憲法第25条第1項は「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とする。この権利はいわゆる社会権の中の生存権と言われるものだ。生存権と言うと、それを守る社会保障制度の整備を思い浮かべるけれども、現在のような感染症の脅威から個々人が守られることも生存権の内にあるんだろうと思う。
だとすれば医療崩壊を招かないような日頃からの医療制度の整備は国の責任だし、この規定がプログラム規定だったとしても、死者が低く抑えられているなんて言い訳でそう簡単に国の取組に納得してはいけないんじゃないか。
制度を整備しないまま、脆弱な対応体制の元で施策を地方に丸投げするなんてことは、地方自治の真の姿にほど遠いものだ。
個々の命は、個々に於いてその全てが重いもの。
また、(特に経済活動に係る)自由権を国の自粛要請が侵害していると主張する人もいるかもしれないが、生存権の重みは無視できない。
清宮四郎先生はこう言う。
「国家の権力は双方(自由権と社会権)から制約を受けている。そこで、自由権と社会権とをともに実現しようとする憲法のもとでは、これら二つの権利の関係を憲法の枠のなかでどのように調節するかが、為政者に課せられる重大な、しかも、難しい課題となる。」(清宮四郎:憲法I 有斐閣法律学全集3)

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