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憲法解釈と総合振興計画の理念

今、北朝鮮、韓国、中国との対外関係悪化による緊張感の高まりを受けて集団的自衛権の行使に係る憲法解釈の是非から憲法改正の是非までが新聞を賑わしている。
弾道ミサイルの発射を続ける北朝鮮、尖閣諸島を睨みつける中国、竹島を占領している韓国等、一触即発の状況と言ってよいかどうかわは分からないが、憲法を解釈に寄らずして、ただでさえ硬性である憲法を有事の際に、それに即応した改正などできないだろうなと素直に思う。

さて、アメリカの連邦裁判所の著名な首席裁判官であったマーシャルは、McCulloch VS Maryland(1819)で、このような法廷意見を述べている。
「憲法の中に、重要な権限に基づいて認められる細かな権限のすべて、およびそれらを実施する方法のすべてを、正確に詳細に規定すれば、それは普通の法典のように冗長になり、殆ど人に理解されえないであろう。恐らく一般公衆にはその意味が分からないであろう。」「憲法にはその性質上大きな輪郭のみを記し、重要な目的を示しておいて、それらの目的を構成する小さな構成部分は、目的自体の本質から演繹すべきものとすることが要求される。」
「(憲法)は来たるべき幾世代もの間持続し、従ってその結果人の世に生じるさまざまな危機に適応しうるように意図された・・・。」

細かな規定や記述というものは、詳細な規定を目指しても、その記述が掌ずる規定範囲は限定されてしまい、どうしても隙間が出てくる。
マクドナルドのマニュアルが膨大な頁数を誇っていると言われているが、それは覚えるのも調べるのも大変であろうし、また、それだけに頼れば、そこに記載の無い予期せぬ危機的な状況が突発した時に何の対応もできないわけだ。

我々人間には、憲法なり、総合振興計画の理念なり、押さえるべき大方針はしっかりと押さえながら、現実に即時対応する方策を、そこから演繹する能力が期待されているのだと思う。

田中和夫教授は、こう言う。
「憲法に解答を求める問題は、憲法制定当時の問題ではなく、その時々の問題であるから、その間に社会事情の変化や思想の変化がありうるので、憲法の規定を常に憲法制定当時解されていた通りに解釈するのでは妥当な解決が得られない場合がある。」
「憲法の改正は相当困難な手続によらなければならないので、その度毎に憲法を改正して事態に即応するということは、実行上容易なことではない。しかも、改正を要するといっても、憲法制定当時解されていたところに若干の例外を認める程度のことが多く、それを一々憲法の成分に書き込むことは、本来原則のみを掲げるべき憲法を一般の法律のように冗長ならしめるおそれもある。」

これら法律家の意見を聴けば、そもそも上位に位置する法なり憲法なり、そして総合振興計画等の上位に位置付く理念等の大原則というものは、我々がただ従っていればよいものではなく、しっかりとその大原則を理解し、その演繹をもって柔軟に予期せぬ危機に対応する能力を我々に求めているものであることが分かる。

そもそも、法に対する人間の在り方というものはそういうものだ。
であるから、総合振興計画も、上位にある基本構想や基本計画が示す理念はしっかりと踏まえながら具体的な事業を実施計画で展開することが重要で、また、上位に位置する理念については、しっかりと中長期で尊重をしていかなければいけない。
まさに総合振興計画の存在意義とは、この理念(大原則)にあるのである。

※参照論文:アメリカにおける憲法解釈についての二つの見解--憲法の変遷に関連して--(田中和夫)

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