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必要か必要ではないか。
そのどちらがより適当(より正しさが多い)なのかという議論でありながら、その真摯に投げかけられた質疑に真っ当に応対しようとせず、はぐらかし、必要か必要でないかは人によるとか、現状をただ訥々と述べ、暗に現状の追認を理由を述べることなく促したり、他に問うべき主題があると嘯いて、その議論が不要であるかの如く謝に構える。
結局課題の検討はしようとしない。
課題の検討をするまでの知識を持ち合わせていないことも認めない。
また、そこまで自分は問わないと、自ら課題の否定、縮小、課題と見定める範囲や議論に加わる範囲の限定をする旨を勝手に"宣言"したり、で、結局あるべき価値に関する意見表明はしない。
いや、からに閉じこもるのも結構だが、卑怯だ。
素直じゃない。
人が投げかける問い自体や議論の手法には、いくらでも誰でもその瑕疵は問える。
そんな問いは偉くも何ともない。
議論は、素直に誠意を持って参画し、自らを曝け出す気概と、参加者相互のリスペクトがなければ成り立たない。

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