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リモートとかオンラインがデフォルトになると、東京都心という人の集まる場所にすぐいけるよっていう、さいたま市の最大でほぼ唯一の魅力が消え去るっていうことになるんで。
もういい加減に、“近いぞ”っていう都心の魅力に寄生したような自慢は即刻やめて、人間にとって快適に住める(楽しめる)棲家って何ぞ?^_^という方向に議論を進めていかないと、とってもみっともないことになる。
これはけっこう辛いことだぞ、さいたま市にとって。

東京圏で暮らすことの前提としてある“移動”の手間ってやつは、身体にも財布にも、それに要する時間的に見ても、けっこう無駄っていうか、けっこうな負担なんだなっていうこともバレてしまったしな。

まあ勝ち負けはどうでもいいけど、結局徳島に負けるんじゃないか?

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コンパクトシティ。

モノについて語るなら都市の集約化だと思いますが、どうなんだろ、デジタル化はどうしたんだろ。

マクルーハンはデジタル化が進めば(個人移動のための)自動車も鉄道も要らなくなるって言ってましたよね。

テレワークはその最たるもの。

場所の制約を無くして、ドコデモ社会を作ることが必要ですね。

集約化っていうと、やっぱり人が散逸しない都心一極集中が便利で、そこには、いろいろな人がいろいろなことを語る都会的で雑然としたたまらない魅力があるのはもう仕方が無いことなんですよねえ、きっと。

そういった魅力、またはそれに代わる魅力を各々の田舎が見出せるのかどうかなのかなあ???。

仕事ができる、学べる、豊かに暮らせるだけじゃなくて・・・

それとも我々は、一つ一つの都市の維持云々に囚われすぎなのかな。

個人の人間を主役に見立てれば、国際化された社会・デジタル社会では、人は電脳社会もリアルな社会も、そこいら中を飛び回るものであるよと。

そもそも自治体を地理的に分断してその存続を考えること自体が終焉を迎えているのかもしれませんね。(我々東京圏に住まう者はずっと昔からそういう状況なんですけど・・・。)

さいたま市で生まれ育った人や団体も、育てば育つほど、活躍の範囲をさらに広く求めていくものだと思ったりします。

やっぱり、モノを集約したコンパクトシティじゃなくて、情報やサービスのユニバーサル化がされたドコデモ社会(もしくはユビキタスか?)なような気がしますね。必要な考え方としては・・・。

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