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力を行使する者:理不尽な不快を呼び起こす力の行使は、不幸を量産する悪魔の所業

他人に対して一定の力を行使する力を持つ者が、他人に影響のある選択をするに際してほぼ片務的な自由を行使しうる場合、おそらく相手の人はその理不尽な力に怯えているだろう。
力のある者の話す言葉の一つ一つに、そして、強いて言葉を失ってみせる沈黙に、目に見えない一方的な力を行使された人には、自分の気持ちを征服されたような嫌な気持ちが覆いかぶさるだろう。
力のある者にさほどの意図が無かったとしても、そもそもの力の差があった上での人間関係というものはこういうもので、それは別にロシアとウクライナの関係に見られるだけの力関係の話だということではなくて、ごく普通の社会で普通にそこにあるものだ。
特に先生と称されたり、先生とお互いに呼び合うような者たちは、それをしっかりと肝に銘じるべきだろう。
相手の心に理不尽な不快を呼び起こすような力の行使は、まさに世の中に不幸を量産する悪魔の所業だと自覚すべきだろう。
大きな力を持つ者はいつもその力が他人に及ぼす不幸感情に鈍感になりがちだからだ。
自分の持つ力の威力に無頓着な者は、もっと法の支配に頓着すべきで、それなくして単に法治主義にどっぷりとはまるガバナーやローメーカーは、ロシアのような力の行使を是とする側に与する者と言っていい。

※神学者トマス・アクィナスは、悪魔は人間の姿をとって人間と交わることが可能であり、神の許しのもとに人間にあらゆる害を与える力があるとした。

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