優しくされて自分の小ささを知る

急に寒くなってきましたがいかがお過ごしでしょうか。
今日はタイトルにもあるように、優しくされて自分の小ささを思い知る。ということについて話したいと思います。

優しくされて自分の小ささを知る。なんだか歌のフレーズが思い浮かばれますが、、、

最近、本当に優しくしていただくことが多く、受け取る優しさに対して自分はそれだけのものを返せているのだろうか、いや返せていないなと実感することが多々ありました。

基本的に、僕の中で人間関係は、「持ちつ持たれつ」、「ギブ&テイク」だと思っています。けれど今の自分は、持たれてばっかり、テイクしてばっかりです。
けれども、その人は相も変わらず優しさをくれる。いうなれば、ギブされてばっかりです。


そんなときに、その人の寛大さや優しさ、報酬を求めているわけではない関係の築き方に圧倒されます。そして自分の小ささを実感します。

~与えられるものこそ、与えられたもの~

僕の好きな風君の歌詞ですが、これはほんとにその通りで、人は良くも悪くもやってもらったことしかやってあげることはできないと思っています。(それを実行するかしないかはまた別問題であるが

だからこそ、優しくされて時に、「ああ、この人の周りの人は優しい人が多いんだな」、「優しい人と今までの人生で出会ったんだな」と深く感じます。

もちろん、その優しさを誰かに返す、優しさを与えることができるその人がすごい人であるのは間違いないことですが。

少し話が長くなりそうなので、結局僕が言いたいことは

誰かに優しくされた時には、ラッキー優しくされた儲けもんやと考え自分でその優しさを止めてしまうような人ではなく、誰かから受け取った優しさは、その人もしくはまた違う誰かに返していけるような人となりたいということです。

ギブ&ギブ、持って持って持ちまくるそんな人に僕は人間的魅力を感じます。

ではまた。

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