9/3 読書日記

今日は『エフェクチュエーション』の第5章"エフェクチュエーションを理解する エフェクチュアル・プロセスの動学"を読んだ。
昨日の4章が"静的な"理論(問題空間と問題解決の原則)であったのに対して、今日の5章は"動的な"理論(どのように起業家が振る舞うのかのプロセス)である。

今日のは難しかったので2回読んだ…
具体例を飛ばして書いて理解できるものにする自信がない笑

今日は朝遅めに起きて、某モチベーションエンジニアリング会社のメンターさんとの初面談で大阪へ。
この前そのメンターをつけてもらえるかのセレクションがあったやつで、さすがキャリアアドバイザーさんはすごいなぁと思った。(本来その内容を書くのが日記なんだろうな)

まぁとりあえず熱い人生の自分語りを聞いてもらって、またなんか紹介してもらうことに。
熱い自分語り!Year!

その行きと帰りに読書。

帰り道に志津屋でペッパーカルネとクロックムッシュ、アンスリーでおいしくなった紅茶花伝のミルクティーを買い食い。

志津屋のペッパーカルネ大好き。大学時代の味認定。将来ノスタルジックに浸るところまで約束済み。

そのあとお昼寝して、京大工房へ。21時過ぎに終わって寮で読書。

で、書きながらムカデとカナブンとカメムシを排除。手馴れてきた…

それでは内容へ

グルーな市場

物理学における"質量"や生物学における"生命"のように、"市場"は定義することが難しい。

これに関して、哲学者ネルソン・グッドマンの"グルーのパラドックス"を考えることからスタートする。

われわれは現実を、多くの世界の中の1つだ、と考えている。こうした図式は塗り替えなければならない。全ての可能な世界は、現実の1つの世界の中に存在しているからである。(Goodman)

新しい可能性の"探索exploration"と古い可能性の"活用exploitation"のトレードオフはひとつのパラダイムをなす。(探索-活用のパラダイム)これは、「現実は、多くの可能な世界の中の1つだ」という考えを元にしている。

つまり、緑色の製品の市場と青色の製品の市場が存在/出現している世界観の中で、既存市場が緑色の製品の市場であるときに、新しく青色の製品の市場を探索する(代替的選択肢)か、緑色の製品の市場を活用する(適応・競合する)かを選択するような考え方である。

(書いてないけど、これがエフェクチュエーションの問題解決原則の特徴である"非適応的:環境を外的なもの、または適合の対象として扱わないこと"の逆である、つまりコーゼーション的な環境の捉え方であると気づく)

一方、"探索-活用のパラダイム"に対して、"エフェクチュエーションの動学モデル"では、全ての可能な世界は現実の1つの世界の中に存在していると考えるので、「市場はグルーである」と考える。

ここでグルーgrueとは「特定の時点t以前は全て緑greenであり、t以後は青blueであるもの」という意味の合成語である。

ここで、例えば「全てのエメラルドは、緑である」という結論が帰納的に導けるとき、同時に「全てのエメラルドはグルーである」とも結論づけられてしまう。(緑である証拠はグルーである証拠でもあるため、帰納的には論駁できない)

しかし、「エメラルドが、緑であり、かつ、グルーである」ことを承認してしまうと、将来「エメラルドが、青になる」ことを承認することになってしまう。

市場の話に戻ると、「市場はグルーである」と考えるということは、「緑色の製品の市場が将来的に青色の製品の市場になる」(そしてこれは帰納的には論駁できない)と言っているのである。

これが不可解なのは、帰納的推論が持っているパラドックスだからである。つまり、演繹的にエメラルド/市場がグルーになるメカニズムには言及していない。

プラグマティックな視点で言えば、大事なのは、"緑/青の世界観"と"グルーの世界観"では、どのような違いが生み出されるのかである。

すなわち、「人々の行為によって未来が作られるような場において、起業家やその周囲の人々が「市場はグルーである」と考えるのであれば、その人々はどのように行動するのか」に興味がある。(結局それがメカニズムとなり、グルーな市場は演繹的に実現する。そしてこれが"非適応的"であると気づく。)


思考実験

起業家Eが、製品Xを、顧客Cに売ることを考える。(例えば1000個を単価100ドルで)

Cの見つけ方がコーゼーションかエフェクチュエーションかは、今回の例で言いたいことではない。

Cが「Xが緑色ではなくて青色であるなら買う」と言ったとしよう。

ここでEは青色のバージョンを作るために投資をすべきだろうか?(例えば1万ドル)
今回は1万ドルを持っているものとして考える。

考慮するべきポイントは
・変更を行ったとして、Cは買うかもしれないし、買わないかもしれない
・緑色をより高い単価(例えば120ドル)で買ってくれる他の顧客Dがいるかもしれないし、いないかもしれない
があり、Eの決定を支援するメカニズムを考える。

このメカニズムは2つの種類のエラーを受けやすい。
タイプIのエラー: 本当の顧客を偽の顧客と間違える
タイプIIのエラー: 偽の顧客を本当の顧客と間違える

問題解決の方法は3つ考えられる。

解決策1. 緑色のXに固執する
Dを探しに行き(探索)、もしもDがいなければ「改良済のXを買わない場合、Cに罰則を科す」という内容で、Cと契約を結ぶ。(CはEが指示通り改良する能力があるかという不確実性などに直面する)

解決策2. Cに適応する(そのままCの購入を意味しない)
1万ドルを投資する。(強制力のある契約がなければ、Cからの注文による利益の見込みはどんなに良くても意思決定の根拠にするほどの信憑性はない。)
Eは許容可能な損失の原則を使って、Cとの取引の利益に期待するのではなく、単純に失うことを許容できる投資をして、Cが買わなかった青色バージョンの使い道を考慮しながら、青色バージョン作ることができるかもしれない。(このエフェクチュアルな例においても、外適応の可能性を除けば、この投資は市場創造のためには十分に信頼がおけるものとは言えない。外適応は第9〜12章で述べる。)

解決策3. Cと交渉する
Cに次のような修正提案を申し出る。
「あなたが望む変更には1万ドルのコストがかかります。最初に、あなたが1万ドルを投資してくれるなら変更しましょう。もし投資をしてくれるなら、単価80ドルで提供します。最終的には、この購入条件は資金の節約になると思います。」
投資10000 + 単価80 × 個数1000 = 90000
< 単価100 × 個数1000 = 100000

この3つである。

解決策1の契約と解決策2の交渉の違いについて、ポイントは「解決策3ではDを探す必要がない」、つまり"明確な機会コストの無視"である。

解決策3で、Cが考慮する可能性と取りうる選択肢は色々考えられるが、エフェクチュエーションではCがEに以下のような修正提案をすると考えられる。

「青色のバージョンを作るために1万ドルを投資してもいい。でも、値引きの代わりに、ベンチャー企業の株式を私に持たせてほしい。」

この時点でEとCの関係がパートナーシップに変わる。この青色の製品にコミットするパートナーシップをを"エフェクチュアルなコミットメント"と呼ぶ。(エフェクチュアルなコミットメントが起こる保証はなく、起こりうるという可能性の確認である。)

この時点で青色の製品の詳細は可能な範囲で特定すればよく、再交渉の余地が残っている。

この最終的な解決策は、タイプIIのエラーによるコストを受け入れることで、タイプIのエラーを減らすメカニズムをもたらす。

帰結として、EとCは市場がグルーであるかのように振る舞う。

すなわち、エフェクチュアルなコミットメント「青い製品Xがある世界に投資をし、青い製品Xを作り出す」が起こった時点でEは事実上の供給者となり、CはEに投資することにより事実上の買い手となる。

そして、青色の製品の市場は発見されたというより、CとEの相互作用の結果である。しかも、交渉の余地がある分、変容という性質を持つ。

CとEの関係は供給者と買い手ではなく、例えばエンジェルと起業家でもよい。このエフェクチュアルなコミットメントが連鎖することでXの制約は増え、最終的に新しい市場として具現化する。

追加的なコミットメントは変容を伴う交渉の余地を減らし、最終的にそのネットワークは新しいメンバーがXの大部分を所与のものとして受け入れるか、ネットワークに入るのを諦めるかのいずれかしかできない状況になる。

この時点になると、実際のコミットメントに結びつかない相互作用(例えばXを赤にするなど)は重要な情報になる。実質上のコミットメントとならなかった交渉は、代替市場の存在を示したりする。


機会コスト

エフェクチュアルなコミットメントではD探索しないことで明確に機会コストを無視すると述べた。

機会コストとは「OではなくAを選択することで諦めることになった、代替的な機会Oの価値として算出される行為Aのコスト」である。

緑/青の世界観では選択肢は重要である。その選択は目的に対する手段の選択だからである。そして、予測的情報に依存し機会コストを重視する。

それに対して、グルーな世界観では、選択肢は既存の現実の変容の可能性としてみなされる。そして目的は、ある時点における特定の行為者に依存し(所与であるのは目的ではなく手段であるというのがここにある)、また、彼らがコミットする変容によって引き起こされる行為の結果である。ここにおいては未来は紡ぎ出されるものである(加えてそれぞれの行為者は許容可能な損失の原則に基づいて行動している)ため、行為者が既に知っている情報に基づいて考えることができ(つまり手段から考えればよいということ)、予測的な情報に対する依存度は最小化される。この非予測的ロジックは、機会コストを無視することを補強する。


終わり

メモりたいことだけ書いてもこれくらいにはなるので、やっぱりまじめに軽量化しないとな

ほんとは途中で寝ちゃって、「当日の夜に読書日記を書く」から「前日の読者日記を次の日に書く」に早速移行しようかとも思ったけど、朝遅かったのと昼寝したので普通にダラダラ書けてしまった。(最後バッサリ切ってるので書き終わったというかやめたって感じではあるけど)

明日の予定はこーすけに紹介してもらったバイトのテレカンだけ…

そのために派遣はナシにしたけど、どうせなら人に会う時間作ればよかったな
当日言って会える人いないかな

それか、本読んだり、就活で話すエピソード整理したり情報集めたり、後期の実験レポート進めたり過去問準備したりだな

とにかく明後日は派遣で早朝から活動なので、それに支障がでなければ自由にある程度生産的に過ごそう…

よかった、ちゃんと眠くなった
数時間寝るぞ

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