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一人卒業旅行・2日目

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なう。熊野寮産ではない。
(熊野寮では酒を密造していません。知らんけど)

今朝はもう一回外宮に参拝。6時半くらいに起きて7時半くらいにホテルの朝食食べて、多分8時くらい。

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平日、朝、雨という誰もいない写真を撮るためには最高のシチュエーション。

その後御朱印帳を買ってそこにもう一回御朱印をもらった。この後内宮行くんで2ページ目にくださいというのは、普通に通じた。

内宮。

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誰もいない宇治橋はさらにレアかもしれない。やっぱり朝来て良かった。

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朝の雰囲気。そこまで早朝じゃないけど全体的に霧がかってた。天気のおかげ。

内宮にお参りしてると横にスーツの集団が。信仰心が篤すぎる会社かな〜と思ってたら正宮で「神社本庁です〜」とのこと。そのままゾロゾロ御垣内(拝殿の内側みたいなとこ)へ。なんかすごいもん見たな〜。

ついに内宮の御朱印もらって、その後外宮で買った御朱印帳と同じ柄の御朱印帳袋も買った。御朱印帳・御朱印帳袋の窓口が開く時間が8時半で、このとき9時前くらい。早く動きすぎてたら袋諦めてた。運がいい。

昨日「おかげ横丁」だと思ってたところは「おはらい町通り」だった。おかげ横丁はおはらい町通りの横に伸びる横丁。

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人が少ないので通っていくことに。

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出たなスターバックス。

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スタバ虎。運転用にコーヒー買ってくことにした。早起きしてるし。

これで伊勢を発つことに。朝来たことでさらに大満足になった。また来れたらいいな。

伊勢を出て2時間半くらいで熊野本宮大社の近くに。高速1時間半くらいで、残り1時間くらい山道。「熊野」の範囲はめちゃくちゃ広くて、高速降りた段階で既に熊野。この辺りにも熊野古道は伸びてて、「伊勢路」という伊勢神宮と熊野三山をつなぐ部分。「伊勢へ七度、熊野へ三度」と言われるほどセットで語られる。隣を走ってみて距離のエグさを実感した。しかもこれでも一部分。
寄れなかったけど、花の窟という、記紀でイザナミがカグツチを産んだ時に自分が焼けて亡くなった話が所縁の場所がある。日本最古クラスの神社らしいが、神社というより墓所として認識されていたらしい。神社とか神様って記紀に載ってないことが多くて、そのこと自体面白いけど、やっぱり載ってると行きたくなる。

車降りたら雨が止んだ。運が良すぎる。

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そして熊野本宮大社へ。熊野古道の一旦の終着点であり、「甦りの地」「出発(たびだち)の地」と言われている。これも卒業旅行には誂え向きの場所だと思うけど、どうでしょう。あ、後輩みんな卒業してたわ…。
厳密には明治以前は、この場所が「その場所」ではないけど、本宮の信仰としてはここに引き継がれている。

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熊野古道には修験道の修行道(奈良の吉野まで)もあって、神社自体に神仏習合の雰囲気もある。吉野は真言宗系修験道(当山派)の本拠地。ちなみに寮の前の熊野神社は天台寺系修験道(本山派)の総本山である聖護院の鎮守社だったりする。当然のような気もするが。とにかく熊野信仰と修験道(遡ると平安仏教・密教)は相性がいい。

そもそも熊野信仰とは?みたいな話は詳しくは書かないが、記紀に出てくる八咫烏の道案内の話が有名。京都の熊野神社にも所々烏が描いてある。下鴨も八咫烏だが、これは下鴨の祭神が八咫烏に化身したとされているから。京都熊野神社の本殿は下鴨神社のものが移築されたものであったりしていて、関係が深い。

熊野寮の熊野と熊野三山は当然関係していて、京都熊野神社は「京都三熊野」の一つ。京都三熊野は熊野詣大好きな後白河法皇が京都でも行けるように揃えたものとされていて、本宮が東山八条の新熊野神社、新宮が寮の前の熊野神社、那智が哲学の道の南端の熊野若王子神社に対応している。

というところまではググれば出てくる。新熊野の神職さん曰く、元々熊野信仰自体は既に京都に来ていたものを、後白河法皇が整えたような形だそうな。確かに新宮とされている京都熊野神社は一番古くて、他とは違って後白河法皇が勧請したものではない。なので、そこまで厳密には意識してないらしい。が、若王子だけはバリバリに那智との対応を推している。なぜなら、裏(と言ってもめちゃくちゃ山の方)に那智の滝に模した滝があるから。明日本物見れるの楽しみ〜。

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閑話休題。境内に熊野神社の分布図が。北海道にも沖縄にもあるのすごいな。「熊野寮」より「聖護院寮」の方がどこにあるか分かりやすいのでは?

例によって大事なところは撮らないのだが、熊野本宮大社にはもう一つ同等かそれ以上の聖域がある。

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それが「大斎原(おおゆのはら)」という、この鳥居のある場所。熊野川・音無川・岩田川の合流点にある中洲にあって、鎮守の森の先は今は広場のようになっている。建物を撮らないとかではなく、この鳥居から先自体が撮影禁止。

熊野本宮大社は元々ここにあったが、明治22年(1889年)8月の大水害で流失し、今の場所に移された。古代からの熊野古道の終着点は元々ここ。同じ規模の水害の可能性を恐れたんだと思うけど、「遺跡」にしたことでより一層畏れるべき空間になってる気がする。「失われた感」というか、「閉じ込められてない感」というか。

実は朝の伊勢で靴が濡れたので、熊野についてからスペアの雪駄に履き替えていた。

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ジーパンに裸足で雪駄履いた若者が一人で平日の昼間からウロウロしていること自体は多分大丈夫だったが、雨上がりの熊野古道にこのカジュアル以下の装備で入ると流石に滑落して卒業できなくなる気がしたので、乾いたであろう靴に履き替えに車に戻る。この時点で15時半くらい。

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「中辺路(なかへち)」は熊野古道の中でもメインストリートと言える部分。この地図はなんか行けそうな雰囲気だが、中辺路だけでも紀伊半島(正確には滝尻王子から)を横断するほど長い。運動靴に履き替えたとしても、普通は15時半からジーパンで突入する場所ではない。熊野本宮大社の真裏に祓殿王子があって、その隣の伏拝王子まで3~4kmはある。いや、3~4kmなら…ということで、往復する時間を意識しながら伏拝王子まで行けるか試してみることにした。

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無理でした。いや、結局帰ってきた時点では日の入りまで時間があったけど、比叡山の反省があるので無理はしない。本宮から2kmくらいの三軒茶屋までは行きました。

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行きは50分、帰り40分で17時くらいに帰還。登山家からすればお遊びみたいなものだが、むしろ観光として成立してるのがすごい。山のど真ん中を、車も使わずにでかい石で、よくここまで綺麗に舗装したなぁと感動。

温泉あるのは知ってて、来る前は行くか決めてなかったけど、疲れたのでめちゃくちゃ行きたくなった。二礼二拍手一礼と御朱印もらう時間以外は運転かウォーキングしてるような気がする。

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車で10分ほど行って、西日本最大級の露天風呂がある「わたらせ温泉」に。下のは当然ノンアルです。

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今日はゲストハウス。オーナーさんに新宮の近くにある神倉神社をおすすめしてもらったので明日行くことに。帰りは運転が長いからウォーキングで無理しないようにしないと。

それでは。

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