2023.2.16 久note

へへ…久しぶり!

なんか照れ臭いや…元気してた?元気だったら良かった!!

私は元気では無かったがなァ!(evilな声で)

多忙という名の暴力ですわこんなん。
何か大きい多忙の種があったわけじゃないはずなのに、どうして何も出来なかった!?おかしい
睡眠時間はゴリュゴリュ削られるし、何か達成できたわけでもない。ほんとうおかしい 解明してほしい

ちなみに、年は越したし、餅は食べたし、年の玉は貰い申したし、恵方(方角忘れた)を向いて海苔巻きを食べたし、バレンタインデーに意味もなくソワソワしました。(チョコ0)

そして、やっとまとまった休憩時間が与えられ、半ば忘れていたnoteを数ヶ月ぶりに更新することにしました よろしく

「推し」教

折角だしずっと思ってたこと書くか〜

皆さん、いわゆる「推し」、いるでしょ。
大半の人にとってのそれは、雲の上の存在で、でも憧れで、自分のあらゆるものを捧げられる。みたいな感じだと認識している。

ここで1つ言っときたいのは、俺は「推し」を持つことや「推し活」が悪いことだと思ってないってこと!!!俺もいるし。人を愛して自分も幸せになれるのは素晴らしいことだと思っています(なんかこの注意書き論説文ぽいね)。

で、本題は、その「推し」への「推し活」がかつての「宗教を信仰すること」みたいになっているのでは?ということ。

例えば、
・顔も見たことないのに「ガチ恋」する人がいたり、
・「推し」の言うことを無意識に信じてしまったり、
・モノやカネや時間を捧げたり
とかとか

「恋」と似てる部分はあるかも知れないけど、繋がりが一方的な部分で「信仰」の方が適してんじゃないかなぁ(オフ会やリプ返とかなんてお茶濁しだよ。神だってお告げを下さる)。


ところで、現在まで、世界中で宗教を信仰をする人は減っていっていて(←頭悪そう)、日本はその筆頭です。
反対に、エンタメはどんどん発展していっていて、(← )日本はその筆頭です。

これらのことから!!!私はエンタメの発展による「推し」対象の増加は宗教の衰退の要因となっているんじゃないかと考えたのです!!!!!!(ぶっちゃけテクノロジーの発展の方が要因として大きいだろうがね。こじつけさせてくれ。)
「推し」を推し切るには、神なんて切り捨ててしまわないといけなかったのかも知れませんね。これは進化なのか退化なのか。

なんにせよ、「推し活」が「宗教」の代わりのような存在になっているのは間違ってないんじゃないかな。何かに縋ってなきゃ苦しいしねー。

もしかしたら、100年後には寺社仏閣アンテナポータルみたいな所にアイドルとかが祀られてるかもね。歴史は繰り返す!ナンチャッテσ(^_^;)(←全角という拘り)

くじよんじゅうごふんくらい /

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