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平和公園のサルスベリと本川の飛び込み台

夏の盛りの赤い花

 キンモクセイと桜とノウゼンカズラとハナミズキなら判別できるけれど、花咲く樹木の名前をろくに知らない。

 サルスベリは覚えている。木登り上手なはずの猿もこれなら滑り落ちてしまうだろうという幹のつるつる具合と駄洒落っぽい命名ぶりとがツボにはまった。

 夏の盛りになると、セミの鳴き声に包まれた広島の平和公園でサルスベリの赤い花が咲く。「百日紅」の別名どおり花は長持ちするといい、「派手な花じゃのう」と子供心に思っていた。

 今年もきっと公園のあちこちで咲き誇り、人の目を引き付けていることだろう。

夏休みになると

 夏休みのあいだ、平和公園のすぐ横の本川(ほんかわ)に飛び込み台が出たものだった。本川小学校の倉庫に保管してあったのだろう。シーズンになると運び出して川の中にデンと置かれた。

夏休みになると、T字形の相生橋の少し下流に飛び込み台が出た

 仮設のやぐらで、いちばん上から水面までの高さは2~3メートルぐらいあっただろうか。監視員の青少年がいた気もするし、ここから出ちゃだめという浮き標識をまわりに巡らしてあった気もする。

 小学校にプールのなかったそのころ、近所の子供らが飛び込み台に群れた。わしも、水中メガネを持って毎朝かよった。水中に潜ってシジミを掘った気もするが、あんまり覚えていない。

 家に帰れば昼寝と、時にはスイカが待っていた。おかげで宿題が後回しになり、9月が近づくと泣きたい気持ちがつのるのだった。


目の前にも

 団地の庭で昨日、赤い花を見つけた。たぶんサルスベリだと思う。で、平和公園を思い出し、本川小学校を思い出し、飛び込み台を思い出した。

 戦後6年たって生まれたわしは、原爆の焼け野原を知らない。今は平和公園となった区域が被爆までは、店や家のびっしり立ち並ぶ繁華街だったことも写真でしか知らない。

 ネットで調べると、爆心地から1キロあまり離れた寺町のお寺に被爆したサルスベリがいまも健在らしい。爆心のほぼ直下にあたる平和公園でいま咲くサルスベリは戦後になって植えられたものだろう。

植えたのはなぜ?

 時間をさかのぼって被爆前にも、かつての繁華街にサルスベリは植わっていたのだろうか。

 陽光のカッとふりそそぐ真夏に似合うサルスベリを、暑さと折り合いをつけながら暮らした広島の人々は好んだのではなかろうか。根拠のない当てずっぽうながら、そんな気がする。

 そして、賑やかだった繁華街が瓦礫の山と化し、やがて整地されて平和公園へと生まれ変わるとき、消えたまちの記憶をたどる手がかりとして真夏につきものの花木を公園に人々は植えたんじゃないか。これまた勝手に想像している。  【Facebook 2022/8/4より】


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