「教育」についてのヒトリゴト

僕も後2年で50歳。つまり、生まれてから半世紀が経っちゃうのですよ。
施術歴に関しても、正式にプロになってから22年。
お金を貰い始めてから数えると実に42年になるので、
もうそろそろ、施術について書いてもいいかなぁ?
・・・なんてね。そう思うわけです。(笑)

普段はゆるく。
時に辛口で、まるで”ヒトリゴト”の様に書いていければな。と、思います。

・・・そんな訳で第一回目は、

「教育」について。


・・・・・・

「教育」

という字。
今の先生と呼ばれる人達は、なんか勘違いしてるんじゃないかなぁ?

「教え、そして育てる。」

今の教育ってどうですかね?
はたして、本当の意味で「教育」と言えるんでしょうか?

ただ、覚えさせるだけ。それでお終い。
それでは「教育」している。というよりは「愚民化」するだけですよね?

最近、特に思うのですが、
施術の学校が増え、施術の技術も業界全般で上がってきた感はありますが、

施術者が育っていない。

って、感じます。

それは教育に問題があるんじゃなかろうか?
・・・そんな風に思うわけです。

なぜそんな風に思うかというと、うちの店なんかでもそうなんですが、
新人が長年続かないんですよ。
これはきっと、他の業界でもそうなんじゃないでしょうかね?

自分には向かないとわかったら「すぐ辞める」。

これは本人の問題ももちろんあるのでしょうが、
それまでの「教育」が悪い証拠なのだと思います。

教育というものを
「成果・効率至上主義」
にしてしまったが為の弊害なのではないかと思うのですよ。

「成果・効率主義」自体は、
決して悪いものでは無いと思うのですが、
でもそれだけでは「人は育たない」ものなのではないでしょうか。

急がば回れじゃないですが、
試行錯誤を繰り返しながら、
そして、成功しても更にその精度を高めていく。

そうやって日々練磨していくことの先に初めて、
「経験」があるのであり、
ただ長年やってたから「経験」があるのでは無いのだし、
教えられ、育っていくわけではないのだと思います。

これは前に、実際にあった話ですが、
うちの店で人員募集をした際に、
接骨院に勤務していて施術歴10年。
・・・という、喉から手が出る程に、
ありがたそうな人が面接に来た時があります。

その人は今現在働いている接骨院の院長に、
外での経験もして来い。
と言われて、うちの店に面接に来たわけなんですが、
面接自体はとてもスムーズに終わり、
じゃあ一応、大丈夫とは思いますが、念の為、
施術も見させて貰えますか?
・・・という話の流れで、
実際に施術をやってみてもらったのですが・・・

まぁ~これがまた、酷い非道い!(笑)
ポイントは外すわ、圧は心地よくないわ(強かったり弱かったりの不安定状態)、
リズムは悪いわ・・・etc.
おまけに順番通りにやって、辛いところも同じようにやるだけで物足りないわで、
最後には、

「君、今まで何やってきたの?」

って、思わず聞いちゃいましたよ。

聞けば彼、
毎日毎日、お役所仕事のように(失礼)同じことをただ繰り返してたのだそう。
それで十年。

うん。
これじゃあ、上達はありませんよ。

学校では何を習ったのか?
・・・と聞いたら、
技術を一通り学びました。
というだけ。

どんな風に習ったのか?
と聞いたら、
先生がやって見せてくれて、
後は生徒達で練習しながら、先生が悪いところを直してくれる。
という形で実習しました。
・・・という。

じゃあ、学ぶ過程でどんなところで躓いたり疑問に思ったの?
と聞いても、わからない時は「やり方のコツ」を聞いて、
ただひたすら、上手く出来るように練習を繰り返しました。
・・・って、始末。

さて。
これで果たして「教えてる」と言えるのでしょうかね?

見本を見せる。
これは大事だと思います。
でも、自ら考えさせないのはNGですよ。
確かに「癖」をまず無くして基本を学ぶ段階では、
自己流はいけません。
でも、自己流がいけないことと、自ら考えないことは別問題です。

何がいけなかったか。
どうしたら上手くいくのか。
上手くいかないのは、
先生(師匠)と自分とで何が違うからなのか。

これを自問自答しながら、基本をひたすら「練磨」していく。
そして、これ重要なのですが、
もし、生徒が疑問や壁にぶつかったら、

「答えを教えるのでなく、ヒントを与える。」

ということ。
そして、答えを自らで見つけさせて、自らで解決させることが、何よりも重要なのだと思います。

んで、今の学校ではこれをしない。
これじゃあ、育ちませんよね。

みんなが同じように一定レベルで出来るようにマニュアル(教本)を作って、
教えてないんじゃないの?
って言う人もいますが、
だったら、施術も機械にやらせた方が上手くいくんじゃないですかね?
って思います。

機械ではなく、人に施術を求められるというのは、
機械には真似できない「柔軟な対応力」が求められてるからなんじゃないですかね?
そしてそれは、ただ覚えるだけの学び方では出来るようにならないのだと思います。

何度も言いますが、
学ぶ本人が試行錯誤を繰り返し、相手のことを考えて、最善を尽くして創意工夫する。
そして何より、教える側はそうなるように導いていく。
そうやって人は育っていくものではないでしょうか?
そんな風に思います。

まぁ、ぶっちゃけ、
僕の修行時代なんかは「盗め」の一言で片付けられましたし、
どんなに頑張ってもわからないので教えて下さい。
って、一生懸命に叫んでみても、
「甘えんな!」
の一言で終わりましたけどね。

とは言え、本当に行き詰まった時には、
命綱くらいは投げてもらえましたが。。。(笑)


・・・・・・

あ、一回目から、話がやたら硬いですね?(笑)



・・・そういえば、
僕のお弟子さんも、いい加減に放置プレーを止めとかないと、
そろそろ反乱を起こされるかな。。。(汗)

(^_^;)うん。
気をつけよっと。

さてと、
今夜のヒトリゴトはこんなところで。
(^_-)☆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?