SNSが疲れる理由について考察してみた
TwitterやInstagramなどのSNSを使っていると
「疲れる」と思うことがある。
これと別で言われるので「辛い」というのもあるけど意味としては別。
発信してるのに伸びない
自分には向いてない
あの人はすごく伸びてる
誰も反応してくれない
このあたりが「辛い」と言われる一般的な原因だ。
それとは別に、『辛くはないけどなんか疲れる』ことがあって、きっとこの感情は自分ひとりだけではないと思う。
SNSでは、それぞれがいかに目を止めてもらえるかという観点で、これでもかという仕掛けが施されていることが多い。
アイコンを目立つように作ったり、ヘッダーを作りこんだり、プロフィールに実績やフォローするメリットを盛り込んだり、リプでいろんな人と交流したり、引用RTをしたり、有効とされている方法は他にもある。
これ自体はTwitterを盛り上げている要素の一つであって、魅力的で刺激的な世界になっていることに間違いはない。
きっと正しい”攻略法”なんだと思う。
ただ、
日常としてこれを体感をしていると正直、疲れる。
疲れるのは、見ているとこちらの感情だとか思考を嫌でも刺激するからだと思う。
無視すればそれで済む話なのだけれど、アルゴリズムの関係もあってか意図せずとも次から次へと刺激的な情報が目に飛び込んでくる。
それらの情報ひとつひとつに対して、自分には必要のない情報であった場合にも「必要のないものとして処理する」ということが無意識的に行われていて、その繰り返しで疲れるのではないだろうか。
「いかにして目立つか」
「いかにして人の注意を引き付けるか」
「少しでも自分に注目してほしい」
これを数えきれないアカウントが似たような内容の発信で行っている。
手段として有効なのは明らかで、
目立つことで、アクセスや目に触れる機会を増やして、承認欲求を満たすことや収入に繋げることができる。まず初めに自分のことを認知してもらわないと始まらない。クリック率や成約率が固定としたら当然そこに集まる人の数が多ければ多いほど、最終的に成約(フォロー)に繋がるひとも増える。
理屈としては正しくて、もちろんそれ自体はまったく悪くない。
けれども、受け取る側として無防備な状態でそれに触れたときに処理が追い付かないことがある。
それが「疲れ」の正体かなと最近は考えている。
そういった自分には必要のない情報や見たくない情報というのは、
ひとつひとつを考えれば、嫌なら無視すればいいだけの話で、角を立てて避難するほどのことではない。
ちょっとしたノイズで収まる。
ただ、これが束になって押し寄せてきたときにはノイズであふれてしまって、
その結果として、自分の欲しい情報、好きな情報を得るために感覚を研ぎ澄ます必要があって、そこに労力や神経を使わせる。
これがけっこう疲れる。
以上
原因を考察するので満足しちゃったので対処法はさらっと流します(笑)
「リスト機能」や「ミュート機能」を使うことである程度自己管理ができるようになっているので活用するのがおススメです。
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