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外国人の友達
80年代の幕開けと共に私も晴れて中学校に進学しました。
地元の公立中学にて、部活はバレーボール部。ごくごく普通な中学生だったと思います。(ただし不良の友達多し)
金八先生が始まったのもこの頃です。実際2つ上の先輩は金八先生に出演してましたもの。
学校が昨今とはまた違う感じで荒れた時代です。
それに加えて先輩後輩だの、今で言うところのスクールカーストのようなものだの、しょうもないことに血道をあげるそんな思春期の若者が集まっている場所が中学校。
ただ非常にわかり易くて正直な時代でもあったかもしれません。
転校生
あれは確か中1の1学期の後半、そんな学校に一人の女子転校生がやってきました。
インパクトがある見た目>髪の毛逆だってる。
明らかにどこにも属さない中学生離れした貫禄>太宰治の’人間失格’を持って歩いてる。
学年中がざわつきました。不良の皆さんも一発かましとかないと、と思ったようです(笑)
※※※明らかに違う血が入ってきたと感じると人間は動揺し排除したくなったり、自分たちのルールややり方にはめ込もうとする心理が働くのかもしれません。
いまアメリカに充満している国粋主義と根っこは同じじゃないでしょうか。
なぜか好かれる
そんな転校生になぜか私は好かれてしまい、いつの間にか親しくなりました。ほぼ共通点はなかったのにね。私と話してて何か楽しいことあったのかな?思いつかないなぁ。
彼女はすごく読書家。彼女曰く「本ならいくらでも親が買ってくれる」とか。サブカルチャーが好きでその手の雑誌も良く学校に持ってきては私に読ませてくれました。面白かった。彼女の影響で私も本を読むようになりました。太宰も読んだ。中学生にはわからんかった。あと試験の前日は必ずと言っていいほど休んでました。勉強してたんだと思います。そして、夕方真っ黒の出で立ちで髪の毛逆立てて五反田駅に向かって歩いてるやつといえば彼女でした。色んなライブとかにも常連で通ってたようです。夜遊びする友達の話はよく聞きました。
↓当時彼女が購読していた宝島という雑誌
彼女の自宅にも何度かお邪魔したけど、日本に3台しかないとかいう、なんかすごいスピーカーがありました。親はクラッシック、彼女はヒカシュー、を大音量で聴いてるっていう…。スネークマンショーを初めて聴いたのも彼女の家でした。
色んな扉の向こう側を教えてくれた友人でした。
ただ、はっきり言って自分とは違う世界の人だったなー。
↓ヒカシューのジャケット
クラスも3年間一緒でした。今思えば学校側がわざとそうしたのかな、とも思います。なぜかというと私は何故か面倒くさいやつの面倒を先生から任されてた生徒でして、猛獣使いって奴?中3の1年間なんて私の班だけメンバー変わらず席もずーっと一緒。
見た目普通なのに何でなのか不思議に思ったのか、不良男子生徒に
「お前は裏(番長)の裏なんじゃねえか?」
と卒業前に言われたほどです。
「だってあたし日本人じゃないもん」
ある日彼女と休み時間に話しているときに発された一言です。
話の内容は忘れたけれど、その一言で彼女が帰国子女だったと知りました。なんか色んなことへの合点がいった瞬間でした。
アメリカで生まれて、小さいときに日本に帰ってきたから英語は話せなかったと思うけれど、少し年の離れたとても優秀なお兄さんが2人いたから彼らからの影響はあったでしょうね。
後日アメリカのパスポートも見せてくれました。日本のパスポートだって見たことなかったのに 笑
そう、なので私の最初のアメリカ人の友達は彼女です。
高校はそれぞれ違う学校に進学したので彼女がその後どうしているのか知りませんが、今どうしているのかちょっと気になります。私がアメリカに住んで、子供4人ともアメリカ人だよ、って言ったらどんな感想が返ってくるかな?
お互い年齢も半世紀を過ぎて少しは共通点ができたかしら?
元気でいてくれてるといいなぁ。
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