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失恋、そして旅に出る

◆旅の目的は何ですか?

"What your purpose of your visit ?" 空港で必ず聞かれる質問ですよね。

教科書どおりに"Sight-seeing"(観光)と答える人が大半だと思いますが、それって本質でしょうか?

かつて、人類にとって旅は生き残る手段でした。しかし、世界中が一つに繋がった今の時代、旅にはどんな意味があるのでしょうか。

安全な日常を忘れ、旅に出る切っ掛けはなんでしょうか。

もちろん旅は楽しい!楽しいは正義ですが、内面を掘り下げていくと、日常を忘れ、自分自身と向き合う時間というのが現代人の旅の主目的なんじゃないかと思えてきます。

◆失恋、そして旅に出る

日本で生活しているひとが、知り合いもいない状態でアメリカ一周するなんて、とんでもないことだとは思いませんか?

なんとなく旅をしてみたい、そんな気持ちは誰にでもあると思いますが、実際に長期間、長距離の旅を決行するには大きなモチベーションが必要です。

大きな旅をするためには、失恋とか、親しい人を亡くしたとか、大きな挫折とか、就職や転職のために数ヶ月時間ができたとか、なにかそういう大きな理由が必要になってきます。

私の場合は、上記全てが丁度当てはまったタイミングでした。

漠然と何かを大きく変えたい、そんな意欲が体を突き動かして、未知と出会うために旅が始まります。

旅はいつだって、変わりたいという前向きな渇望と足掻きと期待に突き動かされています。

そして、旅を終えたとき、確実に自分の中に残るものがあると思います。私は、旅をしたことで人生を前に進めることができたと感じています


◆個人的な話をします。

本編の中で自分の内面的なことをあまり語るつもりはないため、この前章で軽く自分の背景を簡単に説明しておきたいと思います。

必ずしも共感してもらえるとは思いませんし、全然読んでもらわなくて良い章です。でももし、人生に迷っている方がいらっしゃれば、一読していただけるとなにかのヒントくらいにはなるかもしれません。

それでは、私の今までの話をします。

・自衛隊時代

私は裕福な祖父母を持つ反面、貧困な母子家庭の長男として育てられました。母と父は不仲でしたが、母方と父方の祖父母にも可愛がられ、非常に愛されて育った少年時代を過ごしました。

中高生の頃、母が末期がんで余命宣告を受けました。

誰にも相談はできず、上部だけは明るく振る舞っていましたが、誰にも心を開けず、闇を抱えた少年時代を過ごしたと思います。

当時は進学率100%の進学校にいたのですが、大学を卒業して独り立ちした姿を母に見せるには時間が足りませんでした。

母に自立した姿を見せ安心させたいと考え、高校時代、極真空手で結果を出していたこともあり、最も興味のあった陸上自衛隊に入隊しました。

現実から目を背ける様に、とにかく自分を鍛え虐め抜き、強く強く、生き残る術を身につけることに必死でした。

20になった頃、母親が亡くなりました。母は私が陸上自衛隊で頑張っていることを喜んでくれましたが、母が亡くなり私は空虚になりました。

そんな私が早く立ち直れたのは、自衛隊の皆が第二の家族として接してくれたからだと思っています。

しかし、自衛隊の仕事で母の死に目に会えなかったことや、その後、東北大震災が起こり、家族が行方不明な中公務に身を捧げる同僚を見て、自衛隊の本質である私を滅し奉公するということに迷いを感じ、本来のルートであった大学を受け直し、母のための人生ではなく、自分のための人生を生き直すことを決めました。

私にはイラストレーターになるという夢があり、当時の同僚達が背中を押してくれたこともあり、美術大学に進学しました。ちなみにその夢はすぐに実現しました。

・大学時代

大学は、自分のやりたいことを突き詰めるために、美術大学に進学しました。そこは学生ながらにプロが入り乱れる非常に刺激的な環境でした。

プロに囲まれていると不思議なもので、気づけば自分もプロとして活動しながら学校に通っていました。職能や仕事については非常にうまく行っていました。

そして、初めて恋人ができたのもこの頃でした。

今までは家庭環境のことや、自分のことで精一杯だったので、一人の異性ときちんと向き合うことは初めての経験でした。

空虚でモノクロだった世界が鮮やかに色付き、全てが輝いて見えていました。世界や宇宙を全身で感じ、初めて自分の足で地面に立っているような心持ちでした。

初めて自分のために勉強して、自分の力で仕事をして、自分で築いた人間関係の中で、他人と向き合い、異性と向き合い、ようやく自分の人生を歩み始めた様な気がしていました。

しかし、非常に苦い話ですが、当時はまだ母の死に囚われていて、朝はうなされて起きるような危うい精神状態だったし、他人に対して依存的になり、不安を他人に投影してしまい、多様性を受け入れることができず、人との距離感のとり方が下手でした。

全ての原因は自分への自信のなさ、卑屈さに由来しているのだと分かっていました。

簡単に言うと、余裕のない小僧が、余裕のない年代の未来ある小娘に甘え、軋轢を生んだというどうしようもない話です。

若い人間が結ばれない社会的背景もあったと思います。生物学的に結婚適齢期であり、多感な時期の若者が結ばれるには、皮肉なことに、今の日本はあまりにも厳しいものがあります。

できるものなら、かっこよくプロポーズでもして、結婚もして子供も欲しかった。ただ、当時としてはそれが現実的だとは思えなかった。

自分が複雑な家庭で育ったからこそ、不幸にしてしまうのではないかと、どうしても自信が持てなかった。

社会での自分の責任能力の低さを如実に実感して、とことん落ち込みました。

そういった自身のなさもあったと思います。現実的に一緒になれる環境じゃなかったこともストレスになっていたと思います。

初めて人を愛したと同時に失恋を経験しました。自分にひたすら自身が持てず、大きな大きな人生の挫折を経験しました。

当時の自分には、人を支えることも、自分を支えることも難しかったです。

仕事も自分の限界に突き当たり、スランプに陥り、自分への自身のなさだけが加速して非常に良くない状況でした。

死にたいと思うこともありましたが、生きたくても生きれなかった母のことを思うと、死にたいと思うのも失礼だと思い、死にたくても死にたいと思えないような状態でした。

死ねないのなら、生まれ変わる必要がある、今思えばそういうことだったのだと思います。

何かをやり遂げることで自信を取り戻す必要がありました。挑戦することでしか克服できないと直感していました。

・北米横断

大学を卒業した後、アメリカのGnomonに進学したいと考えていました。そして、学校見学を切っ掛けに渡米し、ついでに北米一周をすることを計画していました。

今となっては、Gnomonに進学することは本当はどうでも良かったのかもしれません。本当は気分転換がしたかっただけだったのかもしれません。

まずはバイクの免許を取ることから始めました。バイクにはずっと憧れがありましたが、家族や恋人が心配するので今まで乗らずにきました。

しかし、生憎と独り身になれたのでバイクの免許を取り、翌日から北海道一周に乗り出しました。

北海道一周を追えた数カ月後、すぐに準備を整えアメリカ一周に乗り出しました。

学校見学の予定も入れていたのですが、旅の経験や自然から学ぶことの方が多いと直感したことや、学校に頼らずに結局は自分自身でやらなければ意味がないことを悟ったため、学校には行かず、結局ビザいっぱいアメリカを旅して一度目のアメリカ旅を終えました。

・旅を終えて

旅を終えて、多くの感動を得ることができ、モチベーションを維持し、創作に打ち込むことができました。新しい技法も自分の中で確立でき、受賞や商業誌での執筆を重ね、講師として人に教えたり、技術特許を取得することにも成功しました。

新しいことに挑戦し続けて、生きる術を身に着けて、順当に歳を重ねてきました。

生憎、人間関係がうまくいくようになったかというとそうではないのですが、多くの人に慕われて、一人でなんとか幸せに、自分のお尻がふけるくらいには生きていけています。

旅をしてわかったことですが、旅は続けないと意味がないということです。

旅をして、モチベーションがあがり、少し自分の生活は良くなりましたが、日常を続けている間にモチベーションは枯渇してしまいます。

刺激を受け続け、生まれ変わり続け、モチベーションを維持向上し続けることが、前向きに生きるということ、旅人としていきるということなのではないかと思いました。

そういう意味で、私の旅はまだまだ終わっていないので、安住の地を求めて、なにか、旅を通してもっと前に進めると良いなと、心底思っています。

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