呪配 第26話『出会い』
「は、配達、ご苦労様です」
その衝撃は、天使がこの世に舞い降りてきたのかと錯覚したほどに、あまりにも強烈なものだった。
セラが物心ついた頃には、自身の恋愛対象が同性であるということに気がついていたのだが、周囲の環境がそれを許さない。
両親、特に母親は同性愛というものに異常なまでの嫌悪を示しており、そうした空気を感じ取ることすら良しとしなかった。
一度だけ、親しい友人に打ち明けたことがある。始めは理解を示してくれたかに見えていた彼女も、「私もそういう目で見られてると思うとちょっと」と言って、セラと距離を置くようになった。
そこからセラは、自分の感情に蓋をすることにした。誰にも絶対に知られてはならない秘密なのだと。
身綺麗にしていると異性は声を掛けてくるのだが、セラにとって心動かされる出会いが訪れることはなかった。
だというのに、好意に応じずにいれば心無い言葉でセラを貶める人間も少なくない。ちっぽけなプライドを傷つけられただとか、理由は大抵がくだらないものばかりだった。
だからこそ余計に異性という存在を受け入れ難くなり、セラはますます内に秘めた感情を己の奥底に沈めていくようになる。
それでも慧斗と過ごす時間だけは居心地が良くて、自分をそうした対象として見ることのない彼のそばは、心安らげる居場所でもあった。
その出会いは、まさに青天の霹靂と呼ぶに相応しい衝撃をセラにもたらした。
一目惚れという感情を理解することなどできなかったセラだが、まさにこれがそうなのだと一瞬にして理解する。
どれだけ必死に重石をつけようとも、自覚してしまった感情はセラの意思など無関係に浮かび上がってきた。
ついでの小遣い稼ぎとして始めたデリバリーマスターのアルバイトは、次第に通知が待ち遠しいものとなっていく。
宮原妃麻。配達先が彼女の家であることを知ると、率先して配達を引き受けていた。けれど、置き配の指定が多い彼女とセラが直接顔を合わせる機会はほとんど無い。
どうすれば彼女と親しくなれるのかと考えた末に、偶然目についたのが怪しげなネットの記事だった。
バレずに恋人の浮気を探る方法。そんな売り文句だったように記憶しているが、いくつか記載された手段の中に、『見つからない盗聴器』というものがあったのだ。
本来のセラであれば、人の倫理を外れる選択などしないはずだった。ただ、長年押し殺し続けた奥底の感情が、溢れ出た途端にセラの判断力を狂わせた。
受信可能な範囲は限られているものの、実際に購入して適当な場所で試してみると、想像以上に音を聞き取ることができた。
犯罪だと頭で理解はしていたものの、宮原妃麻のことを知ることができると思うと、走り出した自身の感情を止めることはできなかった。
彼女が不在の日を見計らって、玄関ポストの中にピアスの形をした盗聴器を投函した。
見つかれば捨てられてしまうかもしれないが、マンションのエントランスには集合ポストが設置されている。
大きめの荷物が届いた時のために宅配ボックスも併設されているので、よほどのことがない限りは玄関ポストに荷物が届くことはないと踏んだのだ。
マンションの下でイヤホンを耳に入れてみると、ノイズがあって聞き取りづらくはあるものの、彼女の生活音が耳に届く。
玄関から居室までの間に扉が無いタイプの部屋であることは、以前の配達の際に確認をしていた。だからこそ試せる手段でもあったのだ。
それからは時間の許す限り、頻繁にマンションを訪れて彼女の生活音を聞くことが日課になった。
あくまでも独り言や電話での会話なので得られる情報は限られてしまうが、まるで一緒に生活をしているような気持ちになって、セラは密かな幸せを噛みしめる。
両親から酷い扱いを受けていて、大学生活を機に実家を逃げ出してきたこと。
あまり心臓が強くなく、同年代の若者のように遊び歩けないこと。
祖母からの仕送りと在宅でのアルバイトで、どうにか生活を続けていること。
そうして彼女のことを知っていくうちに、セラは自分が宮原妃麻を幸せにしたいと考えるようになった。
人とは違った部分を持つ自分であれば、彼女のことを理解して大切にしてあげることができる。
盗聴の件は隠しておけばきっとバレることはない。これからは真っ当に、彼女の恋人として生きていきたい。
そのためにも、セラは彼女に想いを告げるタイミングを窺っていたのだが。
『……比嘉さん、っていうんだ』
「え……?」
その日、セラは傘を持たずに出かけてしまったために、雨に降られて帰りが遅くなった。
いつものようにマンションまで来たものの、雨音が邪魔になって上手く盗聴ができないので、今日は帰ろうかと思っていた矢先に覚えのある名前が飛び出す。
音質が悪いのできっと聞き間違えたのだろうと思ったのだが、数日後に彼女の部屋の前に配達を終えて、盗聴器に耳を傾けた時だった。
『比嘉さん、今日は配達してないのかな』
今日の配達を担当したのはセラだというのに、耳に届いたのは彼女の残念そうな声。
友人にも比嘉という苗字はいるが、なにも彼一人だけが比嘉という苗字を名乗っているわけではない。
そう考えて彼女のマンションの前で二週間ほど観察をしていたセラは、宮原妃麻の部屋に配達にやってくる慧斗の姿を見つけた。
『比嘉さんだった……! どうしよう、やっぱり置き配にしなければ良かった』
「っ……!!」
間違いない。彼女の言う比嘉という人物は、セラの知る比嘉慧斗とイコールなのだと確信を持つ。
そして、その声が紛れもなく恋に落ちているということも。
セラにとって慧斗は大切な友人で、そばにいるのは居心地のいい関係だった。だというのに、彼女が特別に想う相手なのだと理解した途端に、セラの中に黒い感情が渦巻いていく。
「どうしてあたしじゃないの……? あたしが先に好きになったのに」
想いを伝えることはしていなかった。配達をしただけで、彼女と特別な時間を過ごしたわけでもない。
けれど、それは慧斗だって同じことなのだ。だというのに、彼女の心を奪ったのは慧斗だった。
「なんで……なんで慧斗なの、あたし……ッ……あたしが、女だから……?」
己の生まれ持った性を呪ったのは、セラにとってこれが初めての経験だった。
自分が男であったのなら、彼女の目に留まったのは自分だったかもしれない。そうであってほしい。きっとそうに違いない。
まるでセラの内に何かほの暗いものが巣食ったように、新しい感情が生まれ落ちた。
――――宮原妃麻を殺せば、永遠に自分だけのものになる――――
そこからの行動はあっという間で、配達通知を受け取ったセラは、自分の登録内容を一時的に慧斗のものへと置き換えた。
腐れ縁というだけあってプロフィールに登録できる写真など選び放題で、彼女も簡単に騙されてくれたらしい。
『比嘉さん、写真変えたんだ。素敵……!』
おそらくは玄関前で配達を心待ちにしているのであろう彼女の姿を想像し、セラの口元に歪んだ笑みがこぼれる。
不用心に扉を開けた宮原妃麻の胸元に、出力を改造したスタンガンを押し当てる。彼女に傷をつけたいわけではなかったので、倒れ込む身体をどうにか抱き留めた。
失敗は許されない。気絶させて首を絞めようと思っていたのだが、彼女がそのまま息を吹き返すことはなかった。
ベッドに横たわらせた彼女にそっと口付けを落とすと、綺麗に手入れをされた髪の毛を一束切り取って丁寧にハンカチに包み込む。
続けて彼女のスマホを手に取り画面を操作したセラは、偽装のために起動したデリマスのアプリで適当な注文を送信する。
「……妃麻ちゃん、あたしが幸せにするからね」
眠るように美しい顔を眺めながらうっそりと微笑んだセラは、盗聴器を回収して部屋を後にした。
それから廃墟に向かって人形に彼女の髪を巻きつけ、ネットで見つけた死者を蘇らせるというまじないをしたのだが、実際にそんなことができるはずもなく静寂だけが流れる。
けれど、これで彼女の愛を誰かに奪われることもない。セラの目的は達成されたのだ。
できるなら遺体も回収してそばに置いておきたかったのだが、腐らせずに彼女を置いておく手段も持ち合わせていなかったので、諦めるしかない。
達成感と共にどこか言いようのない虚しさを抱えながら、セラは日常へと戻った――はずだった。
「な、なんで……ッ」
ファミレスで子どものような慧斗の作り話を聞いていたセラは、そこにいるはずのない宮原妃麻の姿に、起こったことをすぐには理解できなかった。
けれど、慧斗と共に行動をして情報を得る中で、彼女がこの世界に蘇ったのだと直感したのだ。
自分のまじないは成功していたのだと一度は歓喜したものの、彼女の標的は自分ではなく慧斗であると知り、再び絶望に襲われる。
「あたしが妃麻ちゃんを蘇らせたのに……なんで慧斗なの!?」
死してなおも自分のものになろうとしない彼女に、セラは憤りすら感じていた。そして、彼女の執着を奪ってしまえばいいと考えつく。
「…………慧斗がいるから、ダメなんだ」
目の前で慧斗が死ねば、執着するものを失った彼女はきっと自分だけのものになる。
歪んだ考えのままに、まずは邪魔な存在から引き離そうと、公園で來に対する疑念を植え付けた。
その隙に鞄に盗聴器を忍ばせ、彼らの会話から行動や行き先を把握しては、慧斗を殺すタイミングを窺っていた。
だというのに、まだ猶予があると思っていた死の配達が早まったと聞いて、セラにとっても残された時間が無くなっていたのだ。
宮原妃麻に慧斗を殺させれば、目的を達成した彼女はきっとあの世で慧斗と結ばれてしまう。
そうなる前にと、セラはもはや手段を選んでいられなかった。
「……妃、麻……ちゃ…………」
頭部と四肢をバラバラに切り離されたセラの瞳は、最期まで宮原妃麻の姿を見つめている。
己の死を理解していたのかは定かではないが、その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
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