もしかしたら私、新井を許せるようになったかもしれない

 自分が偏屈だ、頑固だ、とついに認めたのはいつのことだったろう。小学生くらいから、うっすらとは感じていたようには思う。通知表の「先生から」の欄に「ちょっと頑固なところがありますね」と何度か書かれていたのを記憶しているし、まるで無自覚だったとは思わない。ただ、あっさりとは認められなかった。なぜなら同時に「発想がユニークですね」「意志が強いですね」とも書かれていたから。「偏屈」「頑固」を言い換えるそんな言葉に「実は長所なのでは?」と淡い期待を抱いている時期が長かった。

 まあでも、さすがに今はわかる。私のものの見方はちょっと(もしかしたらだいぶ)ひねくれていて、性格は頑固。他の人のようにものごとを柔らかな目でとらえることができない。それは間違いなく短所(でも、ちょっと長所に転じてるとこがあればいいなぁとこの期に及んでまだ思ってたりもする)。


 そんな私だからまあ、仕方ないのです。仕方ないのですからご容赦ください。
 ええ、今もまだ、新井を完全に許せたのかわからないのです。新井って誰? やだなもう、新井貴浩ですよ。わけわからないFA会見をしてカープを出ていって、帰ってきて、チームを優勝させて、MVPをとって、3連覇を置き土産に引退した新井貴浩です。みんな大好き「新井さん」。


 そう、今でも新井を許せているのか自分でもよくわからない。少なくとも「なかったこと」にはできていない。心の底に澱のように「でも……」という気持ちがくすぶり続けてる。ただ、その気持ちが最近着実に薄れてきているように思う。それで、このタイトル。「もしかしたら私、新井を許せるようになったかもしれない」。

 言い訳をさせてもらうと、元々私は熱心な「新井擁護派」だった。新井が入ってきて謎の贔屓(またはコネ)起用をされ始めたころも「ついに4番らしい4番が入ってきた!」と喜んでいたし(金本はちょっとシュッとしていて私の思う「4番らしい」とズレていた……今思うとだいぶ贅沢)、4番に座ってまったく打てなかった2003年シーズンも「4番新井と心中すべき。たとえ山本浩二の顔に泥を塗ろうが関係ない」と当時書いていたブログでまくしたてていた。どう考えてもカッコよくないスイングで、大きな身体を不器用に使って、でも当たればグンと飛んでいく新井の打球は、いわゆる「暗黒期」にあったカープで希望だった。確かに守備はひどくて、新井のところにボールが飛ぶたびに肝を冷やしたし、きれいに一塁に投げただけで大喝采みたいな状況だったけれど、それでも、新井貴浩のデカさと屈託のない笑顔には夢が詰まっていた。チームが勝てなくても、「まあ、今日も新井がんばってたしいいや」みたいな、そんな存在だった。

 そしてだからこそ、あのFAは……なんていう言葉がいいんだろう。普通に言えば「ショックだった」だけれど、なんかもっといい言葉はないものか。とりあえず「大」をいっぱいつけてみよう。「大大大大大ショック」だった。青天の霹靂もビックリの驚き。なんていうか、夕ごはんの食卓を囲んでいたら、突然お母さんに「あなたうちの子じゃないのよ」と言われたくらいのビックリ。とにかく衝撃的だった。
 いや、もちろん「金本について行くんじゃ?」という予測はあった。でも、本当に行くかね? あれだけ周囲に目をかけてもらって、迷惑をかけて、(不遜とは知りつつも)ファンだってあなたのために何試合捨てましたかね、という気持ちでいっぱいだった。


 繰り言を言っても仕方ない、ともかく新井さんは帰ってきたのです。そしてあのご活躍。目の前で見た2000本安打も、いわゆる「七夕の奇跡」も、ゲーム差が縮まって迎えた巨人戦で打った決勝打もそれはそれは感動しました。25年ぶりに優勝した日、東京ドームで黒田と抱き合う姿に、私も滂沱(ぼうだ)の涙を流しました。もちろん、引退試合も感動的でした。


 でも、それでもなーんか引っかかり続けていた。黒田に「お帰り! ありがとう! あなたってなんてすばらしい!」と文句なしに言えたのに対して、新井にはちょっと「……」という気持ちが残り続けた。こぞってあがる「新井さーん!」「大好きー!」「ありがとうー!」という声に反論はしなかったし、するほどでもなかったけれど、「……そうか?」という気持ちがくすぶり続けた。

 なのに。
 なのに、だ。
 ここにきて、そういう「よどみ」がすうっと薄れてきたように思うのだ。なぜだろう? 選手のときほど姿を見かけないから? いい加減恨む? のに飽きた?

 たぶん、そうじゃない。
 思うに、安心したのだ。何に? 新井がちゃんと「カープOB」として振る舞っている姿に。

 きっと、私はずっと不安だったのだ。「たまたま帰ってきたしうまくいったけれど、家だって関西にあるし、引退したらまた「阪神の新井」になっちゃうんじゃないか、と。一般的には「カープOB」より「阪神OB」のほうが仕事はあるわけで、新井もまた、そうやって「阪神の人」に戻っていくのではないか、と心配だったのだ。だから、最近の新井が連載記事でカープの選手の話を書き続けていることや、キャンプ地で鈴木誠也にインタビューしてはしゃいでいる姿を見て、安心しているのだ。なんだ、私新井大好きじゃん。よかったよかった。一件落着。


 ……話を冒頭に戻そう。
 最近、「偏屈」で「頑固」な私は「新井を許せるようになったかもしれない」。そう、「かもしれない」。まだ気は抜けない。理由は簡単、またカープが弱くなったら阪神の人になってしまうかもしれない。わかってる、それが生きていくということだ。新井にだって生活があるし、お子さんだってまだ小さい。でも……ね。

 いつかまた、一点の曇りもなく、「新井大好き」になれるかな。あの笑っちゃうスイングでバコーンと飛んでいくホームランボールのように、スコーンっと気持ちが抜ける日はやってくるかしら。もしかしたらそれってそんなに遠くない将来なのかもしれない。

 でもね、そうなってもね、「新井さん」なんて呼んであげないんだから。「新井大好き」。私は、そう、言うんだから。

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