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2001年ドラフト9巡目、天谷宗一郎はいったい何人抜いたのか~指名順位が低くたって、それが何だと言うんだ~

 球春到来という言葉が紙面を賑わすようになってから10日が過ぎた。紅白戦も始まって、やれ誰がよさそう誰が見込み違い、なんて話が花盛りだ。
 そして思う。毎年のことながら残酷な情報差。レギュラークラスや伸び盛りの若手が紙面を占めるのはわかる。が、そうじゃないところで「差」が生まれる。ネームバリューのある選手、人気選手……そしてドラフト上位。同じルーキーでありながら、ドラフト下位の選手は「今何をしているのかまったく情報なし」という日が何日も生まれ、誰もそれを気に留めない。

 とはいえ、ドラフト下位からはい上がった選手はこれまでに何人もいる。しかもたいていの野球ファンはそういう選手が好きだから、人気が出る。今はドラフト上位との「格差」を嘆いているかもしれないが、はい上がってしまえば待っているのは「格差」上位の世界だ。がんばってほしい、と思う。引退した選手のコメントに「下位指名は注目されずチャンスが少なく難しかった」というのがよくあるけれど、どうか腐らずに、いじけずに。誰も注目していないように思えるかもしれないけれど、見ている人はきっといる。

 というわけで、プロ野球選手としての新しい人生をスタートしたドラフト下位の選手とそのファンへのエールをこめて、「ドラフト下位の星」天谷宗一郎のはい上がりっぷりを見てみたいと思う。実は天谷の年には天谷より下位に大物がいたりするのだが、カープファンとして「ちゃんとコメントできそうな」天谷を選んで話を進める。また、成績や実績はNPBでのものに絞る。


 天谷がかかったドラフトは2001年。まだ自由獲得枠があり、育成選手は存在しなかったころだ。球団ごとの獲得人数に制限がなかったので、オリックスはなんと14人も指名している。最後の3人は契約金がなく、いわゆる「契約金ゼロ選手」として話題になった、そんな年。
 ちなみにまだ名球会は出ていないが、可能性が一番高いのは栗山巧(西武)。石川雅規(ヤクルト)と中村剛也(西武)が後に続く。
 現役選手は全部で4名。そのうち3人が西武の指名選手だから驚く(上記の2人+細川亨(ロッテ))。残る1人の現役選手は石原(広島)。87名中43名もいた投手は、もう誰もいない。

 さて、天谷少年は福井商業からドラフト9巡目で指名された。ドラフトにかかった総勢87名のうち、78番目。正直、当時の私の印象は「横竜(横山竜士)の後輩かー」「細いなー」くらいしかない。「北陸のイチロー」に至っては記憶にすらない。「○○のイチロー」「○○の松井」「○○のダルビッシュ」という言葉の軽さよ。
 ともあれ天谷は、2018年に引退するまで、2000以上の打席に立ち、500本まであとちょっと、という数の安打を放った。優勝もした。現在は地元放送局であるRCC中国放送の野球解説者を務め、Twitterのフォロアーは今日現在で2.8万人もいる。人それぞれ定義はあるだろうが、私的には「一流野球選手」で「引退後のキャリアも順調」な元選手だ。ドラフト会議の最後の10%で指名されたことを考えれば、かなり「よくやった」と思う。ちなみに天谷の奥様は元女子アナで、とてもきれいな人だ。その意味でもかなり「よくやった」と思う。すごいぞ天谷。


 いいかげん本題に入ろう。
 天谷宗一郎はいったい何人抜いたのか。投手と野手を混ぜると話がややこしくなるので、ここでは野手+投手から野手転向した1人(十川雄二(巨人))を加えた45人で考えようと思う。ちなみに天谷の指名順位は、45人中38番目である。

 最初に見ていくのは「いつまで野球選手だったか」。
 おそらくすべての野球選手が願うであろう、「ずっと野球選手でいる」という夢をどの程度叶えたか、である。ちなみに2001年ドラフト指名選手のうち、最速でNPBを去ったのは2人。村西辰彦(日ハム)と深谷亮司(オリックス)。どちらも在籍年数はたったの1年だ。それ以外にも実に7名の選手が、3年以内に戦力外通告を受けている。
 そんな中、天谷。現役の4名、2019年引退の今江敏晃(ロッテ→楽天)に次ぐ、なんと6番目! 32人抜きの快挙だ。
 改めて見ると、これは本当に驚きである。チーム事情に左右されるとはいえ、ドラフト時には「押さえておくか」という順位だったのに、多くの「絶対とりたい」選手よりも長く「野球選手」でいつづけた。天谷より上にいるのが自由獲得枠、2巡目、3巡目、4巡目(2人)であることを考えると、そのすごさがわかると思う。

 とはいえ、「野球選手」でいる以上は、試合に出たい。二軍の帝王で現役を続けても……と考える向きもあるだろう。
 その点でも天谷は優秀である。出場試合数(844試合)、打席数(2,198)ともに上から8番目と健闘している(30人抜き)。安打数(493)も8番目なので、ちゃんと打ったうえで試合に出ている。
 ちなみにここで、天谷を上回る「ごぼう抜き選手」が登場する。試合数6番目(1,361)、打席数4番目(5,004)、安打数4番目(1,265)の後藤光尊(オリックス→楽天)だ。なんとドラフト10巡目。この年10巡目に指名されたのは2人(もう1人は天野浩一(広島))しかおらず、11巡目以降に至ってはオリックスしか指名していないことを考えると、驚愕のごぼう抜きっぷりと言うしかない。2011年ドラフトで下剋上を果たした選手ナンバー1は?と問われて後藤以外の名前を挙げる人などいないだろう。

 安打が出たところで、打率も見ておこう。天谷の生涯打率は2割5分5厘。上から10番目である。が、500打席以上に絞ると9番目、1000打席以上だと7番目に浮上する。30人程度は抜き去っていると考えていいだろう。

 最後に本塁打と打点、盗塁。これは明暗が分かれた(といっても暗のほうも十分すごい)。本塁打27本、打点159はいずれも9番目、盗塁81はなんと……3番目である。しかも最高が栗山と後藤の83だから、同年のドラフト選手のなかで最高値になる可能性すらあった。なんと35人抜き。やはり一芸に秀でているというのは強い。天谷が長く現役を続けられたのも、やはり守備走塁に長けていたことが大きいだろう。


 ……とここまで天谷大絶賛できたが、実は残酷な現実もある。というのも、天谷と「すぐ上」にはけっこうな差があるのだ。
 <打席数>
 7番目 細川亨 3,906打席
 8番目 天谷宗一郎 2,198打席
 9番目 早川大輔 1,883打席
 <安打数>
 7番目 細川亨 680安打
 8番目 天谷宗一郎 493安打
 9番目 早川大輔 425安打
 つまり、「この年のドラフトを代表する選手」になるには天谷はあとちょっとだけ足りなかった。言うなれば、「2番手グループの1位」、それが天谷宗一郎と言えるだろう。もしかしたらこの「見えない壁」がドラフト上位との差だったのかもしれない。もっとも、壁をぶち破って「この年のドラフトを代表する選手」になった後藤がいる以上、「絶対に突破不可能」ではなかったのだろうが。


 今年もたくさんの選手が「プロ野球選手」になった。
 これからさまざまな悲喜こもごもが彼らを待ち受けていることだろう。私たちファンも一喜一憂しながらその姿を見守り続ける日々が続く。
 時には絶望することもあるかもしれない。でも、そんなときは天谷を思い出してほしい。180センチに満たない細身の身体で、ホームランをガンガン打つわけでもなくても、30人以上抜き去った天谷のことを。2019年のドラフト会議で本指名された野手は全部で35人なので、どんな下位選手だって十分逆転は可能だ。

 さあ、いよいよ球春到来!

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