私が私であるために

当たり前のことを大切にしたい。
自分が当たり前だと思っていることが、実はとても自分にとっての大切なこと・守りたいことなのかもしれない。だから自分の当たり前を守りたい。それが心穏やかに過ごせるヒントなのかもしれない。

ふるさとについて考えていた。
大体のイメージとしては、「自分が長く時間を過ごした場所、思い出深い場所がふるさと」になるものではないかなあと思う。
ただ思うところがある。長く時間を過ごした場所であり思い出深い場所があっても、そこに伴う感情が心地いいものでなければ、そこはたちまちふるさとと呼べる場所にはならない。あくまでも「ふるさと」という言葉から得る印象とは別のものに感じる。

私はふるさとを見つけたい。自分にとってふるさとになり得る場所を見つけたい。自分が居心地いい場所は、どこにあってもいいものだとさえ思う。そこに帰りたい、そこにいる自分が好き。そんな感情になれる場所。だからふるさとは、自分の育った場所でなくてもよくて、最終的に居たい場所がふるさとなのだと思う。私たちはどこへでも行けるはずだから。

また生きる場所を変えることになった。
変化こそ苦手だけど、でも今よりよくなるはずと思いたい。捉われるものは少ない方がいい。身軽でいたい。好きな音楽と好きな本と、好きな言葉を持って、私が私でいられるなら、きっと生きていける。

大人になるってどんな意味があるんだろう。どんな要素が詰まっているんだろう。自分の未熟さは、いつになっても拭えないものなのかもしれない。30代になった私は、着実に積み上げたものもあるけど、身の丈は何も変わっていない。でもずっと自分の中の何かから抜け出したいような感覚はある。

どんどん自分の中で欲がなくなってきている。満足するレベルが下がってきている。それが悪いことなのか良いことなのか。でも同時に削ぎ落とされてより自分の本質が見えてきた気もする。

私はどこへ行くのだろう。どこへでも行ける。だから行こう。
何かを探しに行こう。私は私でしかないのだから。

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