違う人間だから

百聞は一見にしかずと言うけど。
本当にそうだと思った。

私が知っていると思っていたことは、
知るに留まったままで、理解しているとは言えない。
そして更に、見ただけでは経験をしたとも言えない。
なんて未熟な人間だろう。

自分を律していたいけど、周りにはノイズも多い。
先入観や立場というのは、人の本質を見失いがちになる。
人から与えられた責任や肩書きというものはとても目立つ。
私がどんなに白い布を広げても、他人の目には赤にも見える。
私はそれを「白」だと言い続けることはしないけど、
どうやったら白として見てくれるかを考えて再度見せるだろう。
場所や時間を変えて、角度や大きさを変えて。少なくとも赤ではない、白に近くなる可能性を秘めた色に見えるように。

私が「誰にとっても正しい」と言える正しさを追求するのは、実際に私の正しさが通用しなかった過去があったからなのかもしれない。
深夜に受信した携帯メールで、白い画面に浮かびあがる三文字。
『偽善者』とただ一言。私が持っていた言葉は砂となって散った。
意味を失くしてしまった。何も伝わらなかった。残ったのは喪失感だけだった。

様々な人、多様性に溢れる現代にいる人々。私たちは1mmも違わない同じ場所、視界、目線、言葉で同じものを共有して同じように共感することはできない。それぞれが違う場所から、異なる視界をとらえながら、違う目線で、違う言葉で同じ対象のものを見る。
それでも見て感じたものを表現する言葉の中に、別々の場所にいても同じ意味の言葉を選ぶかもしれない。その意味こそが共通しているものだとするなら。その意味を大切にすべきなんだと思う。

私たちは違う人間だから。
違うと分かっていながら、同じものを感じて、意味を信じることに愛しさを感じるのだとしたら。

私たちは別々で良かった。


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