この雨が止む頃に

ああそうか、と水溜りを避けながら思った。私は本当にひとりになりたかったのか。あの日部屋でうまく泣くことも出来ず、人に対して置いていた自分の立ち位置に違和感を感じ、別の居場所を求め、そして私は本当にひとりになった。この道、この街を歩く人は誰も私を知らない。誰に対しても背伸びをする必要はなく、今の私のまま「初めまして」と挨拶ができる。どんな自分でいても、それが私だと受け入れられるのだ。あの場所を離れることで、私は自分のリセットボタンを押したことに気付いた。

昨夜から雨が降り止まない。傘をさしてレインブーツを履いて、ポストを探すついでにスーパーへ出かけた。玄関のドアを開けると、雨の加減を確認するよりも先に「あら、ここに人間いたんですか」とでも言いたげに蚊がふよふよ飛んでいる。ここで初めて出会ったわけではなく、存在には気付いていた。入居時点でエアコンが壊れており、窓を開けての網戸生活2日目。すでに6箇所も刺された。一体あの子たちは私の部屋のどこに隠れているんだろうか。網戸からの風を感じる生活なんて、ここ数年経験しなかった。エアコンがあれば、換気程度にしか窓を開けない。痒いなあと思いながら、早速スーパーで据え置き型と網戸用の虫除けを買った。虫刺されの薬を買い忘れたのは痛手だったが、もはや共存するなら少しくらい痒く腫れても仕方ない。子どもじゃないんだし。(でも痕になるのは嫌だ。)

無事ポストを見つけハガキを投函し、スーパーでは複数の分別可能なゴミを別途回収するボックスも見つけた。資源ゴミはこれで溜めることなく自分のタイミングで出せる。生活に必要なことを少しずつ集めていくこの作業は、きっと引っ越す前に下調べしておくべきだったのかもしれない。でも現状、都合のいいことしか見つからない。住宅街でも生活必需品を揃えるためのお店が密集している。どんなに田舎の生活を求めても、便利であればそれはそれでありがたい。

スーパーの前に傘立てが置いてあった。もちろんビニールカバーもあって店内にも持ち込めるが、何本か誰かの傘が立っていた。レジ袋が有料になるくらいだ。傘立てはあったほうがいい。でもなぜかそれを見つけた時、私は目を丸くした。そして何故かホッとした。わからない。今考えると、心のどこかで、「あの場所とは違う」と思ったのかもしれない。

あの場所の何が合わなかったのか。考えればきっとキリがないし、私が合わなかっただけで、決して悪い場所ではないのだと言いたくなる。

「洗練」「効率化」「スマート」そんな言葉が行き交う場所だった。近所を歩いても、ずっと背伸びしなければならない気がしていた。手抜きをした格好をしていると、この街に相応しくないと言われているような気がしていた。きっと私の考えすぎだ。でもそれだけステータスに身を包む人がたくさんいた。ここにいるだけの理由がある、と背中で語る人がたくさんいた。誰に言われたわけでもないが、私はあの場所でずっとそう感じていた。そして自分に問うのだった。「私はここにいるべき相応しい人間なのだろうか」

私にとって住む環境は、私が本来の私でいる必要がある。生活感がある場所がいい。オシャレなカフェやレストランは近くになくていい。少し離れてるくらいがちょうどいい。一瞬たりとも他人に迷惑をかけないようにと緊張している親子より、家の窓からお母さんが外にいる子どもに大声で話しかけちゃうくらいの親子がいい。(偏見なのはわかっている。)

周りの友人たちは不自由のない生活に満足していた。いつでも行きたい場所に行ける便利さを手に入れて楽しそうだった。私もそうなれると思っていたけど、どうやら違ったようだ。それでも満足しなければとも思っていた。むしろ手に入れているはずのものを、私が活用できていないだけなのだと。コロナが始まり外出を控えたら、本当にこの環境が私に必要なのか更に問うことになった。そして今の私が欲しいものが何かを考えたら、もう後戻りはできなかった。

未だ私が引っ越したことを知らない友人がいる。誰にも知らせなくて済んだのなら、誰にも知らせたくなかった。引き止められたくなかったのだ。友人と気軽に会えなくなることよりも、自分が大切なのだと言い切ることになる。もちろん私が言うことを受け入れてくれるだろう。落ち着いたら遊びに行くね、と言って笑うだろう。それもわかっていて、言いたくなかった。

ひとりになりたかったんだ。
新しいキッチン用品や虫除け、気休めのカフェラテが入った買い物袋を持ち、青い傘を持ちながら、お気に入りのレインブーツが雨に濡れ、用水路に雨が流れていくのを見ながら。
水溜りを避けた。

ああひとりになれたんだ。
言葉の滴が落ち、私は顔を上げた。

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