ストロングゼロ~貧者の希望~
人間には愚かでいる権利がある。
喫煙、飲酒は言わずもがなだが繁殖を目的としない性行為だって感染症のリスクを考えれば愚かな行為なのだろう。
しかし人々は、いや、我々は一見すると愚かな、神からすると「いや何やってんの人類、まじで、せっかく命を与えたのに」と言いたくなるような行為はすべからく・・・・
心の栄養になる
そして心の栄養を手軽に補給できる、「インスタント愚かさ」こそがストロングゼロだと僕は考えている。
最上部の写真を見てほしい、人の生活圏に遠慮なく散らかされた酒のゴミ。これが愚かさで無くて何なのか。
おそらくは昨晩、楽しくも愚かに、自らの内臓を傷つける人々がいたのだろう。
僕は常々ストロングゼロとはHPを減らしながらMPを回復させる薬だと考えている。
鬱がひどく、不安に襲われた夜に飲むことでなんとか翌朝まで生きていられる。生きていられるだけで動ける訳では無い。
初めてストロングゼロを飲んだのは確か23か4のころだった。
調べてみるとその頃にストロングゼロの度数が8%から9%へ引き上げられたらしい。人類が一歩愚かになった記念すべき日だ。
その頃、大学を卒業し社会に絶望した僕が愚かさを摂取するのに理由はいらなかった。
初めて飲んだ愚かさの味は今でも忘れない。
明らかに自然のものでは無い甘み、鼻腔を駆け抜ける質の悪い醸造アルコールの香り、いつまでも舌にのこる甘ったるさ。
ハッキリ言う、1缶飲み干さず捨ててしまった。
twitterのオタクたちが「実質福祉」「合法ドラッグ」などと持て囃す意味が分からなかった。
今ならわかる、とてもよくわかる、当時の僕には絶望と諦めが足りなかった。
まだ社会のどこかには僕が生き生きと活躍出来て、毎日楽しくも忙しく仕事をし、クソ狭いワンルームではなく家賃10万はする高級マンションに帰宅して、ワインセラーからワインを取り出して飲む。
そんな生活が出来る可能性が1%でもあると信じていたからだ。
だから僕には愚かさがひどい味に感じた。
あの時誓った、「僕は絶対にストロングゼロで酔っ払って気持ちよくなる人生は歩まない」と。
あれから6年、お察しの通りこの文章もストゼロを飲みながら書いている。
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