「俺は最低だ」と考えたら生きやすくなった。

度重なる忘れ物、無くし物、何も出来ない、したくない。時間はいつもギリギリだし、何度言われても直ぐに忘れる。そんな自分の性格が本当に嫌いだった。

小さい頃は「真面目だね」と言われて育った。その頃は真面目な自分を誇らしく思ってたし、みんな真面目であるべきだとも思っていた。でも、中学生になって自我が作り上げられてきてどんどんボロが出てきた。絶対に持ってくると決めた物を結局1週間持ってこなかったり、授業中何度叱られても眠ってしまうので必死に自分を殴って起きようとした。その頃から「自分はダメなんだ」という靄が心にあり、それを補うために意識できる所で必死に真面目であろうとした。結果的に周りからは「真面目だね」と言われてはいたが、心の中では自分のダメな部分がずっと嫌いだった。

高校生になり、勉強が出来なくなった。覚えることが増えて、周りについていけなかった。どれだけ頑張っても合格点の取れない英語の小テストはすぐに諦めた。春、頑張って友達を作ろうと思っていたが冬には既に一人だった。好きな人はできるが、好きにはなって貰えなかった。抑えきれない性欲と下心が溢れた。

俺はもう真面目ではなくなっていた。

高校三年、ある日の帰り道。いつものように一人で歩いていた。好きだった人に告白するも振られ、なぜ俺はダメなんだろうと考える。勉強が出来ないから結局音楽に逃げた。その音楽でさえうまく行かない。自分が嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。あ、前の女子、スカート短い。

…最低だな…俺って…

ふと、そう思った。

そっか、俺って最低だったんだ。

言い訳ではない。自虐でもない。
単純な、事実。
ずっと、人並みに出来なかった。頑張れば頑張るほどに辛かった。「自分は最低」という悲しい程にマイナスな事実が自分を楽にしてくれた。

それからは基本的に、楽に人生を過ごせるようになった気がする。なにかネガティブなことがあっても、「俺は最低」なので、ゼロに届かなくても、ちゃんとやれている。頑張ってる。そう思えるようになった。
たぶん、これでいい。たぶん…。

自分の基準を下げることで
人生は少し、楽になる。

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