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社会は本当にクソなんだろうか

この人のツイートを見てずっと考えていた。社会は本当にクソなんだろうか。

最近の私は金髪で楽しく生きている。会社で「その髪色大丈夫なの?」と聞かれても、別に誰からも駄目と言われていないので「大丈夫です!」と元気に答えながら生きている。

フジロック楽しかったね

就活の時は辛うじて暗めの髪にしたいたっけ。でもリクルートスーツを着た覚えがない。ほとんど私服で就活をしていた。そういう会社しか選んでいなかった。そういう会社しか合わないと思っていた。内定式の時は金髪だった。特に何も言われなかった。新卒入社してしばらくは暗めの色だったけど、ほどなくしてハイライトを入れて明るめの髪色にしだしてから人から指摘を受けるようになった。

ハイライト女の時

「新人賞を取る人間としてふさわしくない見た目をしている。そんなことではロールモデルにはなれない」というようなことを飲みの席で言われた。実績もそこに向かう過程も私より秀でている人は周りにいないのに、なぜそのようなことを言われなければならないのかが分からなかった。それがただの妬みや僻みであると片付けられるほど当時の私は大人ではなかった。

ひとしきり店のトイレで悔しくて泣いて、翌日美容院で髪を切った。ハイライトに染めていた部分を全部切って、そして真っ黒く染めた。

切った次の日

周りからは「やっと落ち着いたね」というような、子どもが反抗期や思春期を経て大人になる過程を見守っていたかのようなコメントをたくさんもらった。私はそれが反吐が出るほど嫌だった。分かったような口を聞くなと思った。私は何も変わっていない。周りが勝手にとやかく言っているだけだ。髪型ひとつで私の価値が変わるわけではない、そんなことは私が一番よく分かっていた。そうして新人賞を獲り、壇上でコメントをしながら、次ここに戻ってくる時は絶対に金髪に染めて戻ってきてやる、と心に誓った。


あれから5年経った今。内勤の仕事に来て営業のような晴れやかな仕事とは遠ざかってしまったが、元気に金髪で仕事をしている。

当時自分が思い描いていたような晴れやかな人生ではないが生きることは楽しい。働くことも同様に。最近の私は好きなバンドのTシャツに履き心地のいいパンツとサンダルを合わせて、ヘッドホンでフェスの予習をしながらサングラスと日傘で日焼け対策をして出社している。「フェス帰り?」と上司に茶化されるが、笑いながら受け流している。自分の好きな格好で周りの目を気にせず働けるようになるまで私は5年以上かかった。それはキャラが会社に受け入れられたのか、一定実績がついてきたのか、そのどちらもなのか、明確な理由はわからないけど、「演技」しているという感覚を拭えるようになるまでにはこれだけの時間が必要だった。

じゃあそれまで対峙していた社会はクソだったんだろうか。成功や幸せとは程遠いものだったのだろうか。虚無に価値を置いているだけだったんだろうか。

演技をしてしまう人の気持ちもわかるし、それが演技だと分かった上でその努力を認めて評価する人の気持ちもわかるし、それに中指を心の中で立てながらタイミングを伺っている人の気持ちもわかる。そのどれを切り取っても私は、ただクソだとは言い切れない。ただ誰かを標的にしない形でそんな社会はクソじゃない?と言われたらそれはそうだなと思う。

生きるのって難しいよね。自分の好きな表現をして、その上で他者から認められて、そうやって素直に生きていたいけど、何かに迎合するということは社会一般的なスキルとして求められる部分があって、それをするがあまり自分がつまらない人間になっていく感覚もあるし、でもそれをしないと生きていけないし、それを求める社会ってクソだなって思うし、でもそのクソな社会にしがみつくしか自分が生きていく術はないわけで、本当に行きづらい世の中だなあって思う。

だから私は小さな抵抗として本当にクビにするよって言われない限りはちゃんと自分らしさと向き合ってその時自分がしたいと思った髪色やメイク、服装を少なくともしていたいなって思う。社会に大きな変化は起こせないけど、私が小さな革命を私の心の中では常に起こしていたいって思うし、周りからの圧に負けないぞ!って思いながら生きていたいな。

8/11追記 夏休みなので青に染めたよ✌️

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