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1/30 人の頼り方

「あなたがもっと頑張らなきゃいけない」

当時の担任に準備室に呼び出され一時間近く同じことを言われ続けた日のことを今でも鮮明に覚えている。何に悩んでいるのかを問い詰められ、それでも私は一言も何も話すことができなかった。どう言葉にしたらいいかがわからなかったのだ。彼女はわたしの左手首の傷をゴミを見るような目で一瞥した後「気分悪いから見せないで、それ」と吐き捨てた。



「悩んでいることをもっと言って欲しい」社会人になってから嫌という程に周りから言われた言葉。「なんでも良いからもっと頼って欲しい。周りはそれを待ってるよ」そんな言葉をかけてもらう度にいい会社に入ったなと心から思った。同時に脳裏に焼きつく嫌な記憶を思い出さずにはいられなかった。

高校生の時自分の戸籍謄本を見た。両親が離婚していること、親権は母にあることが書かれていた。それ自体はもちろん理解していたが、公的な書類にまで記載されているという事実が当時の私には悲しくて悲しくてたまらなかった。「どうしてうちの両親は離婚なんかしているんだろう」当時仲のよかった友人に泣きながら電話した。

翌日からその友人は一切口をきいてくれなくなった。朝から感じた小さな違和感はお昼ご飯を違う子たちと食べているのを見たときに現実のものとなった。つい数日前まで一緒にゲームセンターで太鼓の達人をしていたのが嘘のようだった。なぜ彼女が私を避けたのか正確な理由はわからない。そもそも別の理由があったのかもしれない。ただその経験は「人に悩みを打ち明けてはいけない」と思うには十分すぎるエピソードだった。


「人に打ち明けたところで解決する悩みなんて悩みのうちに入らないと思うんです」そう答える私に先輩が明らかに面倒くさそうな目を向ける。そんなやりとりを何度か繰り返すうちに、当時の上司から「悩みを打ち明けることも社会人として必要なスキルだ」という話をされた。なぜかその言葉は自分も納得できて、自分自身を変えるのではなくスキルとして身につけていこうと思うようになった。

社会とうまく適合できない自分の人格にずっと悩んでいたけれど、それ以降、自分はもう変わらないから折り合いを上手くつける方法を考えていこうと思うようになった。社会で生きていくことが楽になった。




今回のシンガポールでの出来事はタイムリーに3人ぐらいの友達に話をしていた。今この瞬間自分が何をすべきなのかを考えても考えても過去の自分の経験から導き出せる答えはなくて、ただただ今起こった出来事や気持ちを垂れ流すように送って「どうしよう」と相談していた。自分の過去の経験で今この瞬間に悩んでいることを人に話すのは初めての経験だった。毎日のように友達が電話をしてきてくれてずっと話を聞いてくれた。その存在がとてもありがたかった。

人に話すことで新たな視点が得られることがとても新鮮だった。私は友達から言われるまで、シンガポールの家から追い出されることは私の側に責任があると思っていた。彼もやりたくてやったわけじゃないと。でもそれが暴力だというのを友達から明言されたことで、これは暴力なのだと気が付くことができた。「状況としてはとても面白いし設定が完璧だから旅を楽しみな」と友達が言ってくれたことで絶望の中にいた自分の状況をポジティブに捉えることができた。

人に悩みを打ち明けたことで自分が強く救われたという経験を今回得ることができた。それ自体は自分の人生おいてとても大きな収穫だ。そして何より、打ち明けた友達みんなと今でも連絡をとり続けられていることが、他人にとっては当たり前かもしれないけれど、私にとってはとても信じ難く、嬉しいことだった。


大人になるにつれて色々なことを受け入れられるようになってきた。昔は少しのことで動揺して傷ついて泣いていたけれど、その傷跡が今の自分を支えていて、色々なものに惑わされなくなってきている。

手元に残っているものもある。私がこの目で見て感じて考えて書き残したこの想いや言葉は私だけのものだ。ちゃんと自分の手元にあるものに目を向けて、それらを大事にしていきたい。これを読んでくれているあなたのことも。

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