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あとがき

一連の物語はここで終わりにします。私の中で彼と過ごした日々を素敵な過去の思い出として捉えられるようになったから。

現実では一緒に運営するシーシャ屋をどうするのかとか、同棲しているマンションは彼の帰国までに出て行かなければならないのでその後どこに住むのかとか、沢山の問題がまだ山積していてひとつひとつの事象に向き合おうとすると憂鬱な気持ちになるけれど、少なくとも彼との恋愛関係は私の中で綺麗に整理ができていて、もう彼への気持ちで思い悩むことは無くなったし、これで終わりにします。

このnoteは何人かの友人に見せていて、直接感想をもらったり、別の友達に紹介してくれたり、そうして全く知らない人から読んでもらえたりしていて、もちろん何かしらの経緯で唐突に辿りついた人もいるだろうし、そうやって私の経験が文字となって、直接的に知っている人だけでなく、色々な人に届いているというのは、私にとってはとても嬉しいことです。

文章を書き始めた時は、なんとかして今考えていることを言葉に残さないと、このまま自分がこの世から消えていなくなってしまうような気がしていました。シンガポールという異国の地で、自分の繋がりがある人がただひとりしかそこには居なくて、そしてその人との関係性がそこで切れてしまって、私は何のために生きているのかさえも分からなくなっていました。その時の私は深く傷ついていて、傷ついているという事実を受け入れることさえもできなくて、本当にこのまま社会とのつながりが絶たれたまま自分は死んでしまうのではないかと何度も考えました。それでもなんとか自分の足で歩いて、色々な人の力を借りながら日本に帰ってきました。

日本に帰ってきてからの方が日々は辛くて、日常生活を送ることも難しくて、仕事を辞めるしかないのかとか、全ての関係性をなかったことにして実家に一度帰ろうかとか、もういっそ死んでしまった方がいいのではないかと思う瞬間がいくつもあったけれど、それでも生きていられたのは周りに私を支えてくれる人がたくさんいたからです。文章を書き続けられたのも、これを読んでくれる人がいたからで、読む人のことを考えながら文章を書くことで自分自身がより客観的に事実を認識し、受け入れられるようになったと感じています。

生きることは絶望的に苦しいことです。私は常に生きづらさを感じていて、何度も死にたいと思ったことがあるし、そうしてしまった方が楽なのかもしれないと今でも時々考えます。それでも生きることや人を愛することを諦めることだけはできませんでした。何故それが諦められないのかはうまく言葉にできないけれど「それが人間だから」とでも言うのでしょうか。明確な答えは見つからないまま今も私はしぶとく生きています。

社会と自分との最大公約数を見つけるような生き方をこれまでしてきました。社会の側も変容するし、同じように自分自身も常に変化していて、そんなことに目を向けない方がきっと幸せになれることは分かっていながらも、何がうまく噛み合っていないのかを丁寧に紐解き思い悩みながらもひとつひとつ擦り合わせて生きてきました。それは形のわからない問いに対して答え続ける、苦しくて気の遠くなるような作業ですが、きっと自分はそれをやらないと生きていられないのだと思います。どうしてもっと色々なことに目を瞑って要領良く生きられないんだろうと悲しくなる時があります。それでも私はそうして生きていくしかないのだと思います。そんな私を私自身がちゃんと認めて受け入れて、そして愛してあげたいと今は思っています。

健康に気をつけて、強く生きていきましょうね。私もあなたも。

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