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7/2 ひとり飲み

ひとり飲みで重要なのは、堂々としていること、嫌な時はNOと言うこと、調子に乗ってたくさんご飯を頼まないこと、ちゃんと自分の足で家まで帰れるぐらいに飲酒量を抑えること。

大学生の時に「ひとりで吉野家にいく女はどうなのか」と言う話をサークルの男子がしていて本当にくだらないと思った。「俺は行くけど彼女には行ってほしくない」と言う言葉を聞いて心底その子を軽蔑した。飯ぐらい好きにさせてくれよ。

幼い頃はご飯を食べる時はいつもテレビがついていて、家族で話すと言うよりはテレビの内容について各々が好きに話していたように思う。

大学生になってひとり暮らしをするようになって、テレビを見なくなった。ご飯を食べる時は目の前にある食べ物にだけに集中して咀嚼をするようになった。動画メディアが流行り出して、付き合っていた人たちと家で食卓を囲む時に、彼らがYouTubeやテレビを再生したままご飯を食べる姿を見て、私はそれがすごく嫌だった。今目の前にある食事や、私と言う存在に意識を向けて欲しいのに、なぜそれを脇役にしてしまうのか、なぜそれはついでになってしまうのかがわからなかった。私は食事をすると言う行為や、食卓を囲むと言う行為をもっと尊重して欲しかったのだと思う。


ひとりで飲みにいく時はふらっと入ることはほとんど無くて、たまたま通りかかっても一度通り過ぎてその場でネットで口コミや店内写真を入念に調べてから入ることが多い。基本はカウンターだけの店を選ぶ。店主も女性だと尚良い。

20歳を過ぎてから色々な場所でお酒を飲んできた。スナックやラウンジで働いていたこともあってか、どうしても隣り合わせたお客さんや店主をもてなしてしまい、なぜだか楽しむよりも疲弊して帰ってくることが多々あった。誰とでもある程度仲良くやれるというのは自分の強みであり性分なのだと受け入れつつも、お金を払ってまで何をしてるんだろうなと思うことも多かった。

昨年ぐらいからまたひとりで飲みにいくようになった。お酒というものから遠ざかっていた時期を経て解放され、私はやっぱり飲みにいくのが好きだなあと感じながらこれまでは行ったことがない場所にもたくさん行った。ここ最近の大きな変化はNOを言ったり態度に示せるようになったことだと思う。

純粋にお酒を飲みに行ってるんだから、別に誰とも話さずお酒を飲んでご飯を食べて帰ってくるだけでも目的は達成されているのだし、誰とも喋らず黙々と食べて飲んで帰る扱いづらそうな客だとしても売上には貢献しているのだから堂々としていようと思うようになった。まあ店側もそこまで気にもしてないのだろうけど。

なんとなく会話のトーンが合わないなと思ったら背中を向けてみるとか、今日はひとりで飲みたいのでご厚意はありがたいが放っておいてくれと明確に伝えてみるとか、いろいろやり方はあるけれど、私が話したければ店員や客と話せばいいし、そうでないのであればそうしなくてもいいんだということを最近肌で感じつつある。そしてひとりで黙々と飲食だけをただして帰った店でも思い出深いところは沢山あるのだ。


日本は海外と比べるとひとりで外食をすることに対して非常に寛大な国だと思う。海外旅行をしているとひとりで気軽にご飯を食べられる店は多くないことに気がつく。ラーメン屋さんや牛丼チェーンのありがたみを強く感じる。私が日本を好きな理由の一つにこういうひとりでご飯を食べることを許容してくれる文化があるところがある。

誰かと食べるご飯も楽しいけれど、自分の咀嚼音に耳を立てながら、食感や味わいを楽しんで、まだ見ぬお酒の説明を聞いて勢いで頼んで舌鼓を打ち、危ない危ないと言いながらお会計を頼んで、そしてちゃんと家に帰れた日も負けないぐらい楽しいし、そしてそんな日は自己肯定感も爆上がりしているのである。

何が良くて何が悪いとかもないんだろうけど、好きなものや場所をひとの目を気にせずちゃんと選び取って、そしてそれを楽しんで生きていきたいね。

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