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4/14 海

数年ぶりに見るアカウント名に懐かしさを覚えた。久しぶりに連絡をしてみるかと思って本垢でその人を検索すると自分がその人をブロックしていたことを思い出した。大した理由ではなかったのでブロックを解除してDMを送りお互いの近況報告をしていると、もう出会ってからは10年ぐらいの月日が経ったことがわかり、元気で良かったとお互いに声を掛け合って、そして会話は終わった。

たまにもう会うことのない人たちのSNSを覗きにいくことがある。全く稼働していなくて近況がわからない人もいれば、頻発にお酒を飲んだ投稿をしている人もいる。中にはブロックされている人もいて、人生が一度交わったのにこうなってしまうことに物悲しさも覚える。

ひとりだけ、私の、正面ではないものの、裸で寝ている写真を作品としてSNSにあげたままアカウントを放置している人がいて、たまに私はその人のアカウントを覗きに行って、あらわになった自分の背面や脚を観て不思議な気持ちになる。

もうとっくに関係性は終わっているのに、あの時のことがインターネットの中にだけこうして残り続けている。どんな風に愛されて、どんな風に愛したのかももう忘れてしまったけれど、無防備に晒された怠惰な身体だけはずっと残り続けていて、私は今もそれを消して欲しいのか、欲しくないのか、ずっと分からないまま生きている。

今までに二度、書いたnoteを消してくれと頼まれたことがある。一度はまあいいかと全部消して、もう一度は非公開にして、しばらくしてまた公開した。

私の身体は私のものである一方で、誰かに撮影されたその身体は誰かのものであり、そう考えるとそれは私のものであって私のものではないのかもしれない。

この海は誰のものなんだろうか。ずっと私はここで彷徨って、人生に意味や答えも見出せないまま歳を重ねようとしている。最近は楽しいことが多いのに、ずっと人生に絶望している。多分このままだといつか自分がまた近いうちに壊れてしまうんだと思う。もうこの気性とも付き合いが長いので風邪をひく前に鼻を通る嫌な臭いと同じように「あ、もうすぐ来るな」というのがなんとなく分かるようになる。私はそれから目を背けるように細かくいろいろな予定を入れて、考える暇を作らないようにしている。

もしかしたらもうすぐ死んでしまうかもしれない。

目を背けようとすればするほど、嫌なものがどんどん蓄積されていく。これが溢れる前になんとかしなきゃいけない。私はもう限界なのかもしれない。

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