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12/9 土曜日 朝

旅行の疲れがあったのか昨日は21時過ぎには眠りについてしまった。7時に目が覚めて、部屋中の窓を開けてサーキュレーターを回し換気をする。庭に布団を干し、シーツ類を洗濯機に入れた後、旅行の荷物を片付け、家中の掃除機をかけた。

ピーチとミントを混ぜたシーシャを作って、読みかけの本を開くと外から子どもの遊ぶ声が聞こえてきた。私の部屋は一階なので、いろいろな声が聞こえる。近くに住んでいる人が洗車でもしているんだろうか、車のドアを開けたり閉めたりする音が聞こえる。

実家に帰って生活をするようになってもう直ぐ三ヶ月が経つ。東京と行ったり来たりなので実際は半分ぐらいしか暮らしていないが、この生活にもだんだん慣れてきた。慣れてきたから、あまり長くいてはいけないなとも思う。最近は次はどこに住もうかと考えている。

東京では誰にも会わずに生活するというのが難しく、一息つこうとするにもお金が必要だった。夜になるともの寂しくなって行きつけの店でつまみを夜ご飯がわりに食べながら酒を飲み、知人たちと談笑して、二日酔い気味で目覚める日々だった。その生活が楽しくなかったとは思わないけれど、どこかそんな生活に疲れている自分もいた。

東京という街は、砂上の楼閣だ。どれだけ自分が積み上げてきたものがあってもそれは儚くて脆く、いつでも崩れ去る危険性を内包している。そしてふと見上げると周りにはもっと高いものが聳え立っていて、上を目指そうにもキリがない。土台もまともに築けていないのに、常に上を目指すゲームに参加させられて、"よりよい"生活を求め生きていくことが最善であるという価値観が蔓延している。

東京に住んでいる時、たまに帰省をすると同級生が子どもを連れてイオンにいたり、私が買った中古マンションよりも安い価格で家を建てたという話を聞いたりして、何か頭を鈍器で殴られたような感覚になることがあった。自分が幸せだと思って追い求めているものは何なのか。何のために頑張っているのか。それが壊れやすいことも、普遍的な価値を持たないことも知っているのに、その価値観を信じないと生きていけない自分になっていることがどうにも許容しがたかった。だからきっとあの人たちより私の方が幸せだと自分に言い聞かせるしかなかった。そしてその中で生きていくんだと決意して、そういう生活を送ろうとした。でも結果的にはそれは失敗に終わって、逃れるように実家に帰ってきた。

もうそのゲームを棄権しなきゃいけないとどこかで気づいていた。自分が一番分かっていた。本を読めなくなったことも、以前ほどライブに足繁く通わなくなり音楽を聴かなくなったことも、TikTokで小躍りする中高生をただ眺めている方が楽だってことも。そうして自分の感覚がどんどん鈍っていき、何かに猛烈な怒りを感じたり疑問に思ったりすることが少なくなり、色々な違和感に対して無理やり自分を納得させるようになった。そうできるようになってしまった。

私はもうどこかで分かっていたのかもしれない。自分がなりたくないと思っていた大人に近づいていることも、そして私はもうとっくに大人なんだってことを。

だから、最後の抵抗をしなきゃいけないと思って、30歳になる前に東京を離れた。ここでしか生きられない人間であるという事実をどうにか否定したかった。そうしたら朝目覚める時に、ちゃんと呼吸ができるようになった。

また戻るかもしれない。私は東京が好きだ。あの街は誰もが他人で、よそ者で、そういう人たちが作り上げた場所はどこか居心地がいい。だけどそこでしか生きられない、そんな人間にはなりたくない。私は自らの意志で自分の人生を切り拓ける人間でありたい。住む場所や仕事、誰と関わり、何を避けて生きていくか、そういうものをちゃんと立ち止まって考えながら、自分に嘘をつかず生きていきたい。

車がないと何もできない田舎にいるので、免許のない私は家からほとんど出歩くことができない。東京にいれば歩いたり、タクシーやLUUPに乗ったりしてどこにでも行けるけれど、今ここにいる私の方がきっとどこにでも行ける気がしている。

もうすぐ年が終わる。来年はどこで暮らしているんだろうな。

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