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4/22 愛なんてもの

母の誕生日に実家に帰ると、リビングには真新しい花束が飾られていた。父と母は事情がありもうずいぶん前に離婚しているけれど、母が苗字を元に戻さなかったことや離れて暮らす決断をしなかったこと、父が再度籍を入れる提案をしたもののそれを母が断ったこと、それでもたまには2人で外食もしながら、共に暮らすパートナーとして生活していること、それらすべての事実を踏まえると私はこの2人の関係性をどう表現し、どう捉えるべきなのかは未だに分からない。

高校3年生の頃、塾の帰り道に毎日のように送り迎えをしてくれる「母の友人」がいた。その人とはよく母と3人で食事もしていた。その人には妻も子どももいて、子どもたちは結婚もしているぐらいの年齢だった。

ある時ロックをかけ忘れた無防備な母のスマホに、その友人とのやり取りが表示されていた。自分がなんとなく頭では認識していた関係性がそこには表示されていた。そう言うものを見ないフリをして生きていくことに慣れていたから、翌日からもその友人の迎えの車に母と共に乗り、父がいる家へと一緒に帰った。

その時私は父と関係性が悪かったし、その人を父親のように思っていたのかもしれない。受験期に大変な私を優しく気遣ってくれ、ユーモア溢れながら場を盛り上げてくれるその人のことを私も嫌いにはなれなかった。

大学生や社会人になってからも、母とその友人と3人で数回ゴルフのラウンドをした。もっと親しい間柄なんだろうに、友人関係を装うその仕草に気味の悪さを感じながらも、彼らがこの時間を楽しんでくれているのであれば良いのではないかと思えるぐらいには私は大人になっていた。

昨年、その友人に孫ができて可愛がっていると言う話をゴルフのラウンド中に聞き、そこに笑いながら相槌を打つ母を見て、私は彼らの関係性が心底気持ち悪くなってしまい、ラウンドの後半は適当にクラブを振り回しながら散々なスコアを叩き出し、そして不機嫌なフリをして「もうしばらくゴルフはいい」と言った。母はそれ以来私をラウンドに誘うことはしなくなった。

自分が大人になるに連れ、色々なことが冷静に見えて来るようになり、おそらく関係性は変わりながらも10年近く共に過ごしているその2人の関係の歪さを心底気持ち悪いと感じてしまうようになった。

あの時自分が父親像を投影していた母の友人は、どんな気持ちで私たちを家まで送ってくれていたのだろうか。想像すればするほど、人間というのは狡くて卑しくて、滑稽だと思う。そしてそう言うものから生まれた親切心に私は支えられてしまっていたのだ。その事実を認め受け入れることは私にはまだ難しい。

1人の人だけを愛してその人と家庭を作りながら一生を添い遂げるみたいな未来に夢を抱くことがあるけれど、自分の身近にそれを体現している人は多くない。それでも、自分たちの努力だけではどうにもならないことがあっても父と母はそれらを乗り越えながら今は生活を共にするパートナーとして暮らしているし、母と友人は関係性を変化させながらも未だに同じ時間を共有している。

分からないものを分からないままにしておくことができなくて、異性との関係性も、自分の考えも曖昧なままではなく、一つずつ答えを出さないと気が済まない性格の人間からすると、私の周りにあるものたちは複雑すぎて、まともに向き合うと心が折れてしまいそうになる。だからなるべく考えないように、自分のことだけを考えて自己中心的に生きていたいと思ってしまう。

それでも、どうにかしてその事実と向き合って考えてみると、もしかしたら意外と話はシンプルで、どうにかこうにかみんな、誰かに愛し愛されたいと思っているだけなのかもしれないとも思う。私と同じだね。

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