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失敗から何も学べない

理性的であろうとして、思考をめぐらせて考えた上でした発言が、感情的になった時の自分を苦しめる。そう思ってないわけじゃなかったけど、制御できない自分の中に蠢く黒色の感情が出てきた時に、その発言がまるで嘘のようになってしまう。ずっと人生の中でそれを繰り返してきた。

自分の中でこうありたいという姿があって、その自分に基づいてした発言が、より幼い自分が出てきた時に、180度違うような発言として対立してしまうことがある。

自分の中ではこの二つが両立していて、それがいつも苦しくて、より全体最適を取ったような合理的な発言をしようと努めるもののそんなことがいつも起こってしまうので、きっと相手からすれば「じゃあどうしたらいいの」となるんだろうなと思う。

もっとわがままを言いたい。自分の欲しいものを素直に欲しいと言えるようになりたい。親に迷惑をかけないように顔色ばかり伺いながら生きてきてしまったから、相手が欲しいだろう言葉を頭で考えて発することはできるけど、本当に自分がしたいことや、やりたいことを素直に言うということは、きっと全然できていない。それができているかのように表面上振る舞うことはできても、心の中で思っていることの100分の1も言葉にできていないんだと思う。

「じゃあどうしたいの」と聞かれても分からないのだ。自分の気持ちを言ってもいいのか、でもきっと相手が欲しいだろう言葉は顔を見れば分かるから、私はいつもその言葉ばかりを口にしてしまう。それで相手が安心した顔を見ると私も嬉しい。だからこれでいいんだと思う。でもそこで見なかったことにした自分の気持ちはどこに行くんだろう?その気持ちをどうやって処理したらいいのかを私はまだ知らない。犠牲にした私の心はどこで弔われるんだろう。身体の発育が早くてもフリルがついたワンピースが着たかったし、本当はボーイスカウトじゃなくてガールスカウトに入りたかった。バスケに行くのが苦痛だったし、通路側じゃなくて窓際に座りたかった。本当はもっと猫撫で声で甘えて言ったワガママを可愛いと言われて愛されたかった。こんなことを繰り返していて、私は私を幸せにしてあげられるんだろうか。

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