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1/14 許すこと

大学の時に弟子入りをしていた唯一私が師匠と呼んでいる人がきてくれて、経営者の視点からも会社を辞めることを相談したかったので、ことの顛末を話した上でどう思うかを聞いた。迷うことなく「絶対に辞めた方がいい」と言われた。

ビジネスとプライベートを切り分けるとしても結局人は感情で動く生き物だから、人として信用信頼できない人とはビジネスはできないと言われた。プライベートの中で恋愛関係がたとえ終わったとしても人と人として信頼関係を結んでやっていける場合があるが、その信頼関係を築ける相手だとは思えない。彼の対応は人として信頼関係を築いていきたい相手に対する対応じゃないし、会社に本当に残って欲しいと思っているなら別れる前後でのケアはもっと丁寧にすべき。それがなかったことによりもう信頼できなくなっていて、今我慢して続けてもまたいつか同じ問題は発生すると言われた。

私はその通りだなと思いつつも自分にとっても今やっているお店は2つとも大事な場所で、一店舗目は私が彼を含む協働創業者と出会うことになった場で、二店舗目はコンセプト設計から自分で考えたお店だから、どうしても後悔が残るという話をした。

今は目の前にこの場所があるから、どうしてもそれが大きく見えるけど、これが本業でこの仕事をしないと生活が立ちいかないとか、子どもがいて生活ができなくなるとか天秤にかけた時にどうしようもない事情があるのであれば話は別だが、今回は比べるまでもないでしょう。という話をされた。確かにそうだなと思った。ちゃんとお店を立ち上げ一年弱運営してきた経験があるんだから、それを持って次に行けばいいということだった。機会はたくさんあるよと。

一緒に来てくれていた共通の友人からは、今回のことで傷ついて自分に自信を失ってしまうかもしれないけれど、今回の出来事で私の価値が変わってしまうことはないし、シンガポールで1人追い出されても旅行を完遂できるぐらい強い女性だし、素敵な人だよということを言われた。優しい言葉がすごくありがたかった。


閉め作業をする間店を見回しながら色々な感情が込み上げてくる。この場所でみんなで集まって仲良くなり、そしてその店を引き継いで仲良くなったメンバーみんなで一緒に経営していくことになった。あらゆる問題がいきなり発生してその度に対処しなければならず、行き当たりばったりだったけれど、それがすごく楽しかった。

なぜ私が辞めなければならないんだろう。そう考えて涙が溢れてきた。彼はシンガポールにいて、不要なものを切り捨てて、ストレスになるものを拒否して突き返して楽しく暮らせているかもしれない。日本にいる私は今日もシフトに入れるバイトがいないからと、もう関わりたくもないこの会社のために出勤して、今日は一食も食べられていないからずっと胃が痛いのにこうやって働いて閉め作業までしている。どうして私だけがこんなに犠牲を払わなければならないのか。別れることはしょうがないとして、どうしてシンガポールであんな風に理不尽に傷つけられる必要があったのか。

私は本当にこの店に関わり続けたいと今でも思っている。辞めたくない。辞める話をした今でもその想いが変わることはなかった。だからそれができないのが本当に悲しい。私にとってもここは大切な居場所だったのだ。それを彼の無責任な行動のせいで奪われてしまうという事実が未だ私には許せなかった。これだけ自分は酷いことをされたのに、今ここで働いて得た売上が彼のためになっているということが許容できなかった。

人を恨むことよりも、自分が幸せになることにエネルギーを使いたい。まだシンガポールの一件から一ヶ月も経っていない。もしかしたら時間の経過とともに彼を許せるかもしれない。私に彼氏さえできてしまえば解決するのかもしれない。それはわからない。でも一番の解決への近道はこの環境を自分から切り離すことなんだということを頭では理解できるようになってきている。それでもお店を続けたいという感情はまだ自分の中で強く残っており、全く整理できることがなかった。

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