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1/26 虚像と自信


色々な事柄の整理を自分の中で何度も行った。考えたことを感情を揺らさずに人に話すことができるようになってから、実態のない何かに苦しめられたり、悲しい気持ちになることがなくなった。日常は今まで通りどころか、前よりも少しずつ良くなっている。

彼と付き合っていた時によくうちに遊びにきてくれていた友達から「彼は理想と現実のギャップで揺れていてシンガポールの一件はその八つ当たりを受けたということなんだろうね」と言われた。その言葉はストンと自分の中に落ちてきて、妙に納得してしまい、納得してしまったらどうでもよくなった。

思えば彼とは色々な話ができるところが好きだったのに、いつからか反論されたり馬鹿にされたりするのが怖くて、何か違和感を持っても口にすることが段々少なくなっていた。私は人に対して諦めてしまう癖があり、もうこれを言ってもしょうがないと自分の中で感情を閉じ込めて色々なことを終わりにしてしまうことが多い。そうやってずっと私は彼と向き合うことから逃げてきたのかもしれない。彼と向き合わないままに虚像の彼を愛していて、自分の中の小さな違和感とも向き合わないようにしていたのかもしれない。最初の頃は喧嘩をしても、お互いを貶すのではなく恋人として付き合い続けるために、自分と彼の考えをそれぞれ話しをして、今後どうしていくかを考えていた。次第に恋人として付き合い続けるという目的だけが残ってしまい、彼と分かりあうことを最初から諦めてしまっていた。期待をしなくなっていた。

私は彼とずっと話ができていなかったのかもしれない。話をすれば色々なことが明らかになり、彼を失ってしまうのではないかといつも不安に思っていた。本当は最初から何となくわかっていたのかもしれない。

別れた時に自分の中の一部が失われたような感覚になった。同時に今まで見たことのない彼の言動に、実態のない何かをずっと愛していたような錯覚を覚えた。何か大きなものを失ったのにも関わらず、何を失ったのか、その実態が掴めなくて、私はずっと虚無の中にいた。私は現実の彼とちゃんと話をしたことが一度でもあったのだろうか。少なくとも最近はなかったと思う。これから私の大切な存在になる人とはちゃんと諦めずに話がしたいなと思った。それが彼でないと言う現実を受け止めることは少し悲しいけれど、まあそれはしょうがない。

別れたことを含めてすごく悲しくて辛い出来事が続いたけれど、その出来事により私の価値が何か失われることはなく、むしろそんな環境を乗り越えて今日常生活を送ることができているのは私の大きな自信になっていた。

彼がシンガポールに行ってから仲良くなった人たちと毎週どこかで会ってどうでもいい話をしながら飲んでいる。アプリを通じて出会った人と週末にランチをして、また飲みに行く約束をした。初めましての人と一緒にシーシャを吸ってなんとなく昔からずっと友達のような安心感を感じた。この世のどこかに自分の居場所があると言う事実、そこから生まれる安心感と、いつだって居場所を新しく作ることができるという自信が今の私を支えている。

自分の手元にないものがなんだったのか、何が本物で何が嘘だったのか、そんなことを考え嘆き悲しむよりも、自分の周りにあるもの、一緒にいてくれる人、そして自分自身をちゃんと大事にして生きていきたい。



こんなことを書いている途中でいつの間にか眠りについていた。彼と一緒に過ごす夢を見た。朝目が覚めて、ひとりであることに気がつく。自分の中で整理がついたはずのことがまだ小さな火種を持っていることを痛感する。現実とはそんなものだ。

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